水からの中毒

なんでも、アメリカで「水の大飲み大会」に出場した女性が亡くなったらしい。醤油を飲んで死ぬという話はきいたことあるが、たとえ水でも飲み過ぎれば死んでしまうようだ。水中毒といってナトリウム濃度が低下するのがよくないようだが、ということはアイソトニック系飲料なら平気だったのだろうか。不謹慎ながら、来年からは各ビバレッジメーカーでチームを作って、どのアイソトニック系飲料が一番たくさん飲めるかを競い合う大会に趣旨替えしたらどうか、などと考えてしまう。

話は変わるが、そもそもどんな食べ物にも多かれ少なかれ毒となる成分が含まれているのかもしれない。それらは生きていくのに欠くことのできない栄養素を補給してくれるものの、同時に少しずつ摂取したものの身体をむしばんでいくのだ。食べ物というのはほとんどの場合、植物、動物等の生き物の死骸から構成されている。そうであれば、自分の仲間が食べられる確率を少しでも減らすため、捕食者の身体にダメージを与える成分を保持しておくというのは、進化の流れに沿った戦略だろう。自然が身体にいいというのは迷信で、人間の手が入っていなければいないものほど、危険度は高い。

ちょっと宗教的に考えるなら、生き物の命を奪って、それを自分の身体に取り入れるごとにカルマのようなものがたまっていくのかもしれない。そのカルマの蓄積で、捕食者は老いて、やがて死んでゆく。そんな因果応報。

話をもとにもどすと、水は無機物なので、カルマなんてものがあったとしても無関係のはずだ。だが、世の中には「「水に『ありがとう』などの『よい言葉』を見せると、きれいな結晶ができて、『ばかやろう』などの『わるい言葉』を見せると、きたない結晶ができる」なんていうことを信じている人たちもいる。『よい言葉』を見せた水と『わるい言葉』を見せた水で、どちらが水中毒になりやすいかは実験してないのだろうか。