村上春樹『1Q84』

1Q84 BOOK 11Q84 BOOK 2

日本語が母語でよかった。

上下巻でなくBOOK 1、BOOK 2 なのはひょっとして BOOK 3 がありうるということを示しているのではないかと思ったが、これは、小説の中で言及されるバッハの平均律クラヴィーアの構成を模倣しているためだった。平均律クラヴィーアは、24の前奏曲とフーガがメジャー、マイナー交互に配置されていて、同様の構成のものがBOOK 1、BOOK 2 の二巻作曲されている。『1Q84』も、BOOK 1、BOOK 2 それぞれが24の章から構成されていて、青豆と天吾、二人の男女それぞれが交互に主役を務めるという感じで、完璧に対応がとられている。だから、BOOK 3はたぶんない。

『1984』という年、ビッグブラザー、リトルピープル、過激派、カルト宗教。てっきり最初は、村上春樹はこの小説で日本社会全体を射程にとらえた大がかりな寓話を描こうとしているんじゃないかと思った。でも、それは単なる浅知恵で、読み進めるうちに、物語の内的なリアリティーや必然性からうまれる圧倒的な力が、つまらない寓意の芽をたたきつぶしていって、その奔流に呑み込まれた。

そのリアリティーや必然性の根源は何かと問われて、気恥ずかしさを押し隠して答えるならば、青豆と天吾二人の「愛」ということになるんだけど、考えてみると、この数々の不可思議な幻想から構成される物語の中で、もっともありえないものに思えるのが、この「愛」だ。

でもそのありえないものがありえないなりに、とにかくなにか切実なものと感じられるならば、大急ぎで窓から夜空をながめて、月がいくつあるか数えたほうがいい。もう半分くらい2009年から抜け出して200Q年に足を踏み入れているのかもしれないから。

そう、何よりこの小説は読者それぞれの200Q年のためのガイドブックなのだ。