伴名練『なめらかな世界と、その敵』ebook

B09XV1NSS4

表紙からラノベに毛が生えたようなものを想像していたが、思ってもいなかった本格的なSF作品を集めた短編集だった。SF的なアイデアだけじゃなく、登場人物の感情の動きの自然さと深みがすばらしい。それが物語をダイナミックに駆動する原動力になっている。

表題作の『なめらかな世界と、その敵』は人間の精神が平行世界を自由に行き来できるという世界。どんなに確率が低かったり今と異なっている世界にも移動可能なので、不快なことや危険から逃れ半永久的な生命が約束されている。その能力は「乗覚」とよばれるらしい。みんなが乗覚をもつなかで、人為的にそれを奪われて「乗覚障害」になってしまう人たちがいるいうシチュエーション。彼女は与えられた世界のなかで少しでもいい未来をつかむため努力しようとするが、ほかの人からは必然的に孤立してしまうことになる。彼女の友人である主人公の女子高生架橋葉月は彼女をつなぎとめるためにある選択をする。乗覚を駆使しているときのリズミカルな描写とラスト近くで主人公がみる壮大な幻影がとにかくすばらしい。

『セロ年代の臨界点』は日本SF史の壮大な偽史。ゼロ年代というのは2000年代ではなく1900年代のことで、そこでは女性SF作家の一群があらわれ特筆すべき作品を残す。

『美亜羽へ送る拳銃』。「きみの手の中に銃がある」という一文からはじまるこの作品はとにかく美しい作品だ。結婚式で互いの頭に銃を発射する儀式が流行している世界。それは、相手を永遠に愛し続けるナノマシンを脳に打ち込むもので、WK(ウエディング・ナイフ)と呼ばれる。物語の構成の美しさや巧みだけでなく、人間の自由意志と倫理の問題があつかわれる。名前は出てこないが作品内に「聖書」としてあつかわれるグレッグ・イーガンの作品で問われているのと同じテーマが変奏されている。

『ホーリーアイアンメイデン』は、ハグするだけで相手を善人にかえる能力をもった女性とその法力をもたない双子の妹の間のとても苦い物語。

『シンギュラリティ・ソヴィエト』は、唯一日本が舞台ではない作品。旧ソヴィエト連邦がいちはやくAIを実用化し、その優位の下、シンギュラリティを越えた世界線の物語。モスクワに住む一市民ヴィーカは人工知性体ヴォジャノーイの指示でアメリカ側の人工知性体リンカーンの指示で送り込まれたらしい男の訊問をすることになる。

ラストの『ひかりより速く、ゆるやかに』は、修学旅行からの帰りの新幹線が謎の低速化現象に巻き込まれ、内部の時間の流れが停止に近くなって連絡がとれないまま到着まで数千年の時間がかかることになる。修学旅行に参加できず残された主人公伏暮速希の鬱屈の物語と思いきや最後は逆転に次ぐ逆転。村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』的な二世界を交互に描く構成かと思いきや、それを裏切るのがすばらしい。

各作品に共通して感じるのは、イーガンゆずりで、正面から倫理に向き合っていることだ。日本のネットではポリコレが創作の妨げになっているという議論が隆盛だが、そんなことはなくて倫理をとことんまで突き詰めたところにこそ物語のたねがつまっていることを教えてくれた気がする。

いやあ『三体』とか中国SFすごいとかいってる場合じゃなく日本のSFもすごい。それ以来のセンス・オブ・ワンダーを感じさせてくれる読書体験だった。

★★★★