村上春樹『国境の南、太陽の西』

国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

とりあえずこれで、さぼって読んでいなかった村上春樹の作品(少なくとも長編)は読めたはず。はるか以前に読んだ『羊をめぐる冒険』、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』などはもうほとんど忘れかけているが。すばらしかったということだけ覚えている。

ミステリアスなラブストーリー。小学生のころほのかな思いを寄せていた女性と再会して、今の幸福な生活を捨ててもいいと思いつめる「僕」。彼女のすべては謎に包まれていて、過去のことも現在の生活についても何ひとつわからない。「たぶん」、「しばらく」は「僕」の経営するバーにやってくるというあやふやさの中にだけつながりがある。彼女はリアルな存在というより、「僕」の中で長年培われてきた「欠落」がうみだしたものかもしれない。

最後に「僕」は彼女の存在というより不在を乗り越えて、「新しいなにか」になろうとする。でも、それはより大きな「欠落」を抱えて生きるということにほかならない。ラストがすばらしい。

僕はその暗闇の中で、海に降る雨のことを思った。広大な海に、誰に知られるということもなく密やかに降る雨のことを思った。雨は音もなく海面を叩き、それは魚たちにさえ知られることはなかった。 誰かがやってきて、背中にそっと手を置くまで、僕はずっとそんな海のことを考えていた。

★★★