村上春樹『海辺のカフカ』
物語の骨格だけたどると15歳の少年の精神的成長を描いた典型的なビルドゥングスロマンなのだけど、メタフォリック、つまりメタファーとしてしか理解し得ないようなキッチュでオカルティックな出来事が次から次へと連鎖する。たとえば空から魚やヒルが降ってきたりだとか、夜な夜な少女の幻影が部屋を訪れるだとか、カーネルサンダースそっくりの老人にとびきりの美女を斡旋されるだとか、死人の口から出てくる怪物を退治するだとか……。それぞれが何のメタファーなのかは語られないし、示されもしない。
現代に生きる人間のかかえる空虚さというのは、自分が何者でもないことがわかっているという点にあると思うのだけど、予定調和的なこの物語の世界の主要な登場人物は、むしろ自分が特別な存在であるということに悩んでいる(逆に、一般的な人間であるホシノ青年はナカタさんとの出会いにより面倒をしょいこみつつも、役割を与えられたことをむしろ喜んでいる。ちなみにぼくがこの本の登場人物で一番好きなのはホシノ君だ)。それは一見極めて個人的な問題で、一般性というか誰もが感情移入できる要素はなさそうに思えるのだけど、ときおり描き出される、人間が本質的にもつ暴力・破壊への衝動、善悪を越えていながら徹底的に邪悪なものの存在、そしてそれらとは逆の記憶というものの力は、やはり普遍的なメタファーなのだと思う。
終わり間際で大島さんがこう語る。「大事な機会や可能性や、取り返しのつかない感情。それが生きることのひとつの意味だ。でも僕らの頭の中には、たぶん頭の中だと思うんだけど、そういうものを記憶としてとどめておくための小さな部屋がある。きっとこの図書館の書架みたいな部屋だろう。そして僕らは自分の心の正確なありかを知るために、その部屋のための検索カードをつくりつづけなくてはならない。掃除をしたり、空気を入れ換えたり、花の水をかえたりすることも必要だ。言い換えるなら、君は永遠に君自身の図書館の中で生きていくことになる」
そして、最後に希望を感じざるを得ない一節とともに、この物語は終わる。
★★★★