前回はとりあえず平衡状態にあるようなことを書いたが、書いている最中からそれは有名無実化していて、水面下で激しい攻防が繰り広げられていたのだった。 当初考えていたのは DAC付のヘッドフォンアンプだった。audio-technica製のAT-HA25Dだ。ヘッドフォンアンプといいながらライン出力がついているので、アクティブスピーカーに直結することができる。実売2万をきっていてお値頃だし、今までのUSBオーディオインターフェースをDAC代わりにする構成より論理的に美しい。だが、AT-HA25DにのっているDACがいままでのUA-3のDACよりいいという保証はどこにもなく、むしろ同程度と考えたほうがいいということに気がついた。 ...
キャンペーンは突然はじまった。 PCで聴く音楽なんて音源は圧縮形式のファイルだし別に音質はどうでもいいやと思っていたのだが、いまやピュアオーディオのコンポでは音楽を聴かなくなっている現状があり、逆にもとがひどいんだから少しの努力でも目に見えるような(というより耳に聞こえるような)効果が得られるのではないかと軽く考えたことが、あれよあれよという間に自分の中で盛り上がっていた。 ...
少し前の話になるが、そういえば三谷幸喜監督の第3作『THE有頂天ホテル』のDVDを観たのだった。これまでのすばらしい2作をみてきた目からすると、今回は期待はずれというしかない。少なくとも映画館で観たりDVDを買うほどの作品ではなかった。 ...
十数年前にPCを買ったのは、それで電子地図を見たり、地図上に情報を記録したりしたかったからだ。その当時は、インターネット上のサービスはおろか、地図ソフトというものもなくて、あまり精度の高くないカーナビのCDとそれを表示するためのシェアウェアで、さんざん苦労した記憶がある。 ...
冥王星が惑星ではなくなってしまったらしい。といっても冥王星そのものに変わりがあるわけではなく、「惑星」という言葉の定義が変わってしまったのだ(というより明確になったといったほうがいいか)。新しい定義は「太陽の周りを回り、十分重いため球状で、軌道近くに他の天体(衛星を除く)がない天体」といういささか直観的でないものだ。なんだか冥王星を惑星からはじきだすために無理矢理作った定義のような気もするが、冥王星は他の惑星と比べると極端に小さく、しかもその後同じような天体がいくつか近くで発見されていることもあり、「惑星」のインフレーションを避けるためには仕方ないところなのだろう。 ...
物理学者は思考実験の中で猫を半死半生の目に会わせたりして、残酷な人たちだと思っていたけど、リアルに猫殺しをしている小説家がいるようだ。 小説家の坂東眞砂子さんがエッセイの中で猫殺しを告白して、ちょっとした騒ぎになっている。自分の飼い猫に避妊手術をするのは彼らの「生」の経験を奪うことになる。だけど、子猫が野放図に生まれてしまっては飼い主としての社会的責任が果たせない。「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない」が、どちらかを選ばなければいけない。坂東眞砂子さんはあえて後者を選び、生まれたばかりの子猫を崖下に投げ捨てて殺しているのだそうだ。 ...
不遜なことに前回写真の撮り方について書いてみたが、今回はその続き。 前回写真に映るのは見ているものじゃなくて視線が映ると書いたが、その視線を逆にたどると眼そして脳にいきつく。視線を生み出したのはこの脳の中にある意図だ。いい写真であることの条件は視線がシャープであることで、視線がシャープであるためには意図が明確でなくてはいけない。 ...
最近、写真にこっている。この半年間におしたシャッターの数の方がそれ以前の合計より多いはずだ。やはり、写真共有サイトFlickr!に加入したことが大きい。自分の撮った写真に対し、世界中の人から何らかの反応をもらえるかもしれないという可能性(今の段階ではまだ可能性と書いた方が正確だ)は、かなり志気を向上させてくれることなのだ。http://www.flickr.com/photos/chez_sugi/から見られるので、ご用とお急ぎでない方はご覧ください。 ...
しばらく前から虫歯の治療を受けているのだが、歯にかぶせる金属を仮止めしたあと、そこでものを噛もうとすると鈍い痛みを感じるようになった。次の週に微調整してもらって幾分かは楽になったものの、その痛みは完全には消え失せなくて、長い仮止め生活を続けることになってしまった。 ...
夜遅く帰りついてみると、ドアの縁のところに釘の頭のようなものがくっついていた。なんだろうと思ってドアを開いて裏側から見るとつぶれたテントウムシ。ドアが開いたときにたまたま羽を休めて、閉まったときに犠牲になってしまったのだろう。幸運を呼ぶ虫のはずなのに、なんてついてないやつなんだ。なんだかその不運がべったりとぼくにこびりついて容易にぬぐい落とせないような気がしてくる。ああ、あたまを駈けめぐるあのメロディー…… ...
麻酔されて虫歯の治療をされているときに思ったのだけど、今ぼくが感じているはずの痛みはどこにいってしまうんだろう?もし、麻酔をされていなかったら、悲鳴をあげて恥ずかしいだけでなく、痛みは確実にぼくの心身をむしばんでひどく消耗してしまうのは間違いない。麻酔により神経が麻痺している間にも、歯は確実に痛くなるようなことをされているわけで、その痛みがどこへともなく消えてしまい、本来消耗してしまうはずのぼくが平気でいられるのはちょっと不思議な感じがした。 ...
子曰く「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」、というのは人に道を尋ねるような方向音痴は死んでしまえということでは決してなく、朝、真理を悟ることができればその日の夕方に死んでしまってもかまわないということなのだけど、悟った瞬間死んでもいいというのではなく、夕方まで待ってほしいというのがミソだと思う。 ...
フランスやイタリアではエイプリルフールのことを「四月の魚」と呼ぶ……。 いつもはただ通り過ぎてしまう橋の上から身を乗り出している人たちがいる。その中にまじって水面を見下ろすと、水の代わりに魚がながれていた。体長10cmほどの小さな魚たちが何千匹もひしめきあいながら上流をめざしているのだ。この先には高速道路にふたをされた暗い流れが続き、やがて水は干上がってしまうはずなのだが、魚たちしか知らない道があるのかもしれない。 ...
疲れている。 誰もができることを満足にできないぼくではあるが、まれに誰もできないことをできたと思える瞬間がある。それは刹那的な直観のたまものであり、次に似たような状況が訪れたとしても、同じようにできるかどうかはまったくわからない。つまり、たまたまできたにすぎないのだ。 ...
NHK番組改変問題がちまたでさわがれている。 いろいろ職業がある中で、「生み出す価値÷社会的地位」というのを仮に数値化できたとすると、日本で下位2つを占めるのではないかと思っているのが、政治家とマスコミ関係者で、今回の問題も、同じボケとつっこみを延々と繰り返す笑えない漫才をやっているようにしか見えなかったりもするが、たぶんオチはないのだろう。 ...
続けざまに『花とアリス』の話題。 「花」と「アリス」という2人の少女の物語で、鈴木杏と蒼井優が演じると聞いたときには、バタくさい顔の鈴木杏が「アリス」だと思いこんだが、実は「アリス」は和風顔の蒼井優で、フルの役名が「有栖川徹子」だから「アリス」なのだった。「花」の家族については母親がコミカルに下着姿で出てくる以外は特に触れられていないが、「アリス」の家族についてはかなり細かく描かれている。画面からわかることをまとめてみよう。 ...
見終わってすぐに、さあべた褒めしようとキーボードに指をおいたが、どうしてもこの映画にふさわしい言葉が浮かんでこなかった。いや、別に映画を語る言葉が映画自身にマッチしていなくても別にかまわないとは思うのだが、この映画でそれをするのは大げさにいうと冒涜的な行為に思えたのだ。それで何日かすぎてしまった。 ...
このchez sugiというサイトを開設してからいつの間にか5年が過ぎ去ってしまった。5年前ちょうどまとまった休みがとれたので、作ってみたのだ。書きたいことを書くために開設したはずなのだけど、すぐに逆転してサイトの更新が目的となりそのためにネタをさがすことになってしまった。なんといっても、読んだ人から反応をもらえるのが純粋にとてもうれしかったのだ。 ...
このところ時間の編目をかいくぐりながら寝る時間を削って、WalkDBの改修をしていたのだった。WalkDBというのは1997年以降のぼくの全散歩の経路を記録し、検索するシステムだ。ようやく一段落ついたといっていいと思うが、それを公開するあてはいまのところないし、公開しても意味のないものだと思うので、代わりに技術的ノウハウをまとめておこう。 ...
文化庁が行った平成15年度「国語に関する世論調査」の結果によると、「姑息」という言葉の正しい意味「一時しのぎ」を答えられた人は12.5%、「憮然」の方の「失望してぼんやりとしている様子」は16.1%だったそうだ。かくいうぼくもまちがえて理解していた口だ。 ...