みんなの有頂天ラジオ

THE 有頂天ホテル スタンダード・エディション

少し前の話になるが、そういえば三谷幸喜監督の第3作『THE有頂天ホテル』のDVDを観たのだった。これまでのすばらしい2作をみてきた目からすると、今回は期待はずれというしかない。少なくとも映画館で観たりDVDを買うほどの作品ではなかった。

監督第1作の『ラジオの時間』はラジオ局のスタジオが舞台だった。素人の主婦が書いたラジオドラマを生で放送しようとするが、出演者のわがままなどで大幅に改変されてしまう。収拾のつかないままエンディングに入ろうとするが、本来の職業意識に目覚めた一部のスタッフの反乱で、もともとの凡庸な脚本を越える奇跡的なクライマックスを迎える。つまり、破壊と再生がぶつかりあう中から思ってもいなかったような新たなものが立ち上がる瞬間が描かれているのだ。余談だが、映画では壊す側のスタッフを西村雅彦、反乱するスタッフを唐沢寿行とわかれて演じているが、オリジナルの演劇版では西村雅彦一人が両方の役割を果たしていた。その方が人間ドラマとして、はるかに深みが感じられる。二人に分散させた方がわかりやすくはあるが、ちょっと疑問だ。

第2作目の『みんなの家』はマイホームを建てようとする家族の物語であり、建築にかかわる昔気質の大工の棟梁とアメリカかぶれの家具デザイナーの確執および和解を描いた作品だ。正反対の価値観をもっていて相互理解不可能と思われた二人が、実は深いところで共通なスタイルをもっていることに気がつく。最後には、自分の作った作品にバトンを渡すような象徴的な行為で幕が引かれる。

『THE有頂天ホテル』は核となる物語が不在だ。登場人物は、あらたなものにめぐりあって変化することはなく、ただ自己否定と自己肯定の間をいったりきたりしているだけだ。役所広司演じるホテルの副支配人は、過去の夢を捨てたせいで、今の仕事をどこか恥じている。香取慎吾演じるベルボーイはつまらないことで夢を捨てようとするが、つまらないことで思いとどまる。佐藤浩市演じる政治家は、二度の迷いから脱したようにみえて選んだのは単なるシニシズムだったりする……。とにかく登場人物に矜持や深みが感じられない。全体的に散漫で見終わった後物足りなさが残り、もう一本別の映画がみたくなってしまうような作品だった。