ロバート・A・ハインライン(井上一夫訳)『異星の客』

異星の客 (創元SF文庫)

分厚い。並の文庫本の優に3冊分はある。

火星調査団の一行が全滅して火星に取り残された乳児が火星人に育てられる。25年後、成長したその乳児ヴァレンタイン・マイケル・スミスは地球に帰還する。彼は沢山の遺産を相続していたが、地球の重力と習慣に馴染めず一見して精神的、身体的退行の状態にあった。しかし実は彼は火星で超人的な能力を身につけていたのだった。自由に人や物を消せる。自己治癒。テレパシー。いわゆる超能力のオンパレードだが、火星人にとっては当たり前の能力なのだ。成長した火星人は肉体が死を迎えても(分裂と呼ばれる)、長老という霊的な存在ではあるが普通に目に見え、生き続ける。その時の肉体は仲間に食べてもらうのが喜びとされている。マイケルもその考え方を全面的に受け入れている。

当然、地球人と火星人の間でマイケルをめぐるスペクタクルな物語が展開していくものと予想するがそうではなかった。火星人は全く出てこない。マイケルが地球人の習慣を覚えていくに従い、火星的倫理と地球的倫理の差異みたいなものが浮かび上がり、そこを突き詰めていけば興味深い哲学小説になったと思うのだが、実はそちらの方もあまり深掘りはされない。マイケルは結局火星的考え方を広める新興宗教の教祖になるのだ。

マイケルは超人的な能力を持っているし、その火星人的考え方はこの小説の中では完全に正しい。誰でも学べばマイケルのような能力を身につけることができるという設定なのだ。火星人の生殖にはロマンチックな要素は全くないが、地球人のそれとの違いに気がついたマイケルは、嫉妬の感情のないフリーセックスを取り入れ、実践する。そこにはほとんど葛藤は存在しない。その教えを地球人の誰もが受け入れることは不可能で、選ばれた人々のゲーティドコミュニティーにしかならないことだけが葛藤的な要素だ。

なんかスピリチュアル満開のどこかのカルト宗教の教典といってもよさそうな物語だった。これが書かれたのは1961年。そのあとに続いたヒッピームーヴメントでこの作品は爆発的に受け入れられたらしい。スピリチュアル的なものに対する無批判な受容は今読むと痛々しいし、逆に興味深くもある。