フィリップ・K・ディック(山形浩生訳)『ヴァリス』ebook

ヴァリス〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)

序盤は、ホースラヴァー・ファットという小説家が友人女性の自殺をきっかけに精神の平衡を失い奇妙な幻覚や妄想にとらわれ、自殺を試みたり独自の神秘思想を生み出すまでになっていく様を、ファット自らが「必要不可欠な客観性を得るべく三人称で書いている」という体で描かれている。壺から出てきたピンク色の光線の啓示で息子の病気を言い当てたりしたことや、神秘思想の内容を含めて、実際これはほぼディック自身に起きたことであるようだ。時折登場する「ぼく」という一人称の視点からは、こういったことはすべて疑わしいことと扱われていて、その客観性のおかげで実話ベースのセミドキュメンタリーを読んでいるような気持ちになってくる。

この客観性は徐々に揺らいでくる。つまり、そこからが小説のはじまりということだ。ファットと「ぼく」がふつうに友人同士としての会話を交わしたり、同時刻に別の場所にいたりすような描写があらわれてくるのだ。せっかく、ファットという形で自分の中の狂気を追い出したのに、それがゆきすぎて、まったくの他人として創造してしまったような感じだ。しかし、これはあくまで奇妙な味付け的なことで、本格的に虚構としての物語が動き始めるのは全14章の中の9章目からだ。

ファットたち(ファットと「ぼく」)は友人ケヴィンに誘われて『ヴァリス』という映画をみにいく。それは一見荒唐無稽なSF映画だが、ファットの妄想や神秘思想と見事なまでにシンクロしていたのだ。彼らは映画を作って主演しているエリック・ランプトン(笑)というロックスターに連絡をとろうとする……。まあ予想されるようにこの物語部分は宙ぶらりんの状態で終わってしまうのだが……。

ファット(というかディック自身)の神秘思想が興味深い。この宇宙を作ったのは発狂した神で、さらに上位の理性的な神が介入しようとしているとか、われわれが現実世界と思っているものは「精神」が処理した情報の実体化であるとか、そして、宇宙はもともと両性具有の双生児として構想されたが片方が不完全に生まれて劣化を続けたため死なざるを得なかったというような創世神話まで生み出している。