佐々木敦『ニッポンの音楽』

ニッポンの音楽 (講談社現代新書)

簡単に要約するならば、ニッポンの音楽(=Jポップ)を、「内」(すでに日本国内でポピュラリティーを獲得した音楽)と「外」(外国や最先端の未知の音楽)の間の、内が外の影響を受けて変化していく弁証法的な運動としてとらえる史観を提示しつつ、その運動は、内と外の質的な差異が消滅してしまった今停止してしまっている、つまりこの定義のもとでのJポップはもうその役割を終えている、ということが示された本だ。

具体的には、1960年代末から現代まで10年単位で、その時代を代表するというよりかは、上記のような外から内への運動のエンジンを駆動する役割を果たしたミュージシャンにスポットライトをあててそれぞれの物語が語られている。70年代ははっぴいえんど、80年代はYMO、90年代は渋谷系と小室系、ゼロ年代以降は中田ヤスタカ。とりあげられているのはたまたまというより必然的というべきだろうが、本書の用語でいうところのリスナー型ミュージシャン、すなわちテクニックに優れていたり、自分固有の表現したいものがあるわけではなく、多種多様な音楽を聴き込んでそこから新しい音楽を生み出す人たちだ。

個人的にはYMOはリアルタイムできいた世代で、はっぴいえんどはしばらくしてから後追いした口だ。渋谷系のピチカートファイブも大好きで、中田ヤスタカのcapsuleはその延長としてききはじめた。本書のラインアップはぼくの中のJポップ王道だったのだ(なぜかフリッパーズギターやオザケンに触れる機会はなかったが、きけば絶対好きなはずだ)。固有名詞をみただけで読みたくてたまらなくなり、実際一気に読んでしまった。

音楽コンテンツの売上げは98年に最高値を記録した後、だださがり続けている。Jポップという運動は終わってしまった。本書は、意味深長な音楽の未来に対する肯定の言葉で締めくくられている。

何がどうなろうと、音楽はなくなりはしない。こんなことは当たり前のことだが、これが当たり前でつまらないことのままであることを、わたしは祈っている。