テッド・チャン(大森望訳)『息吹』ebook

4152098996

なんと17年ぶり2冊目の作品集。収録作は9編。最初の作品集『あなたの人生の物語』に収録の8変と作品集未収録のOPED一編が現時点で発表されている全作品とのこと。

『承認と錬金術師の紋』。アラビアンナイトの語り口のタイムトラベルもの。タイムトラベルものは大きく歴史の改編が可能なものと不可能なものでわかれるが。これは後者。最後感動した。

表題作の『息吹』。空気の流れを動力にしたロボット型の住民が暮らす宇宙。ぼくらの宇宙の終焉の可能性のひとつに熱が平準化されて移動しなくなる「熱的死」というのがあるが、こちちらの宇宙でも同様だが、進行が急激なことと住民たちの寿命が半永久的なことで切迫感が違う。これも感動作。

『予期される未来』。自由意志がテーマの掌編。

『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』。タイトルはITの解説記事のようだがとてもエモーショナルで長めのクロニクル。簡単な会話が可能なペットタイプのAIを育てていく喜びと困難。

『デイシー式全自動ナニー』。機械に育てられた少年の物語。

『偽りのない真実、偽りのない気持ち』。人生の出来事がすべて記録可能になった未来における自己理解と赦し。

『大いなる沈黙』。アートプロジェクトに提供したストーリーを再編した掌編。オウムが語り手。

『オムファロス』。創造論が正しくて、へそのないミイラや年輪のない木が発掘される世界。人間は自らを神の創造の目的として自負し信仰を篤くしていたが、それを覆すような観測事実がみつかり・・・・・・。前作品集収録『地獄とは神の不在なり』と同じく信仰に商店をあてた作品。

『不安は自由のめまい』。冒頭の『承認と錬金術師の紋』は歴史が改編されない世界だったが、対照的にこちらはどんどん歴史が分岐していく世界。といってもタイムトラベルではなく、プリズムという機器をつかって分岐した世界との交信が可能という設定だ。自己が多数に分裂している世界で善い行動と悪い行動にどういう意味があるのか哲学的に考えさせる話だった。ラストもいい。

こうして読んでみると、ある問題に対する思考実験をしたアウトプットがひとつひとつの作品になっているように思えた。未完の思考事件の断片がたくさんありそうだ。そしてそのテーマには倫理という軸が必ず絡んでいる。テッド・チャンは現代のモラリストといっていいと思う。次の作品集は当分先になりそうなので、ものにならなかった思考実験を題材に倫理がテーマのエッセイを出してくれないだろうか。

★★★★