川上未映子×村上春樹『みみずくは黄昏に飛びたつ』

みみずくは黄昏に飛びたつ

川上未映子による村上春樹へのロングインタビュー。2015年7月9日、2017年1月11日、2017年1月25日、2017年2月2日の計4回、それぞれ長時間にわたるインタビューの内容が収録されている、村上春樹はめったにインタビューを受けない人なので、これまでのインタビュー(主に海外のメディアによる)は本一冊に入ってしまう。今回はその分量を川上未映子さんという聞き手一人で越してしまったことになる。最新長編『騎士団長殺し』の刊行直後ということもあり、読後に残ったもやもやを晴らしてくれるのではないかと、期待を込めて手にとった。

古今東西数多く作家はいるけど村上春樹ほど私の部分が語られることが少ない人はめずらしいのではないか。ことさら秘密にしているとわけではなく、自ら「普通の人間」という通り、私生活に創作活動に匹敵するほどのドラマ性がないんだと思う。ラジオのパーソナリティには向かないタイプだ。今回のインタビューの内容ももちろん創作に関する内容がほぼすべてを占めている。

さすが川上未映子さんで、長年の読者ならききたいであろうことをずばずばきいてくれている。物語の中の「悪」や政治的なメッセージとのかかわり方などセンシティブなところに突っ込んでいる。特に、女性が巫女的な役割を負わされて主人公の犠牲になることが多いんじゃないかというのは、誰もが読んでいて感じるところだったと思うので、こうして本人にぶつけられたことがすごい。

地下2階

村上春樹は自らの創作について「地下2階におりていく」という表現をよく使うんだけど、川上未映子さんによるこの図がわかりやすい。地上1階の公共空間があり、2階はプライベートなスペースで、それとは別に地下1階のホンネや自我の領域がある。日本の私小説はこの領域を舞台にしていると春樹は言っている。春樹自身は地下2階に降りて創作しようとしている。そこは神話の要素がちりばめられた集合的無意識の領域のようだ。2階と地下1階が別で行き来するには1階を通過しなくていけないということにはインタビューの中ではほとんど触れられてないが、そこは重要なポイントな気がする。

さて、最新作の『騎士団長殺し』について。ぼくがよく使う表現を使うと、作家には神タイプと預言者タイプ村上春樹は典型的な後者だ。自らの作品は理性的にあらかじめ構築することなく自らの無意識とむきあいそこからつかみ取ったものを作品に昇華している。だから自分でも作品の中の事物を説明できないし、説明したとしてもそれはひとつの解釈に過ぎないのだった。川上未映子さんは周到に読み込んで準備してきたらしいが、見事に肩すかしを食らわされた感じだ。それでもいくつか興味深いトピックにふれられていた。

  • 「私」という人称の選択はかなり意図的。
  • 「イデア」と「メタファー」は辞書的な意味ではなく単なる呼び名。部族名みたいなもの。
  • みみずくは実在した!

『騎士団長殺し』についても評論本がすでにいくつかでているが、今回のインタビューでわかったのは村上春樹は批評とか評論の意味をかたくなに認めてないということ。やはり過去に理不尽な批評をされたことがトラウマになっているのだろうか。

あと、けっこう驚いたのが『ねじまき鳥クロニクル』の主人公はもともと死ぬはずだったらしい。「長編小説は最終的にポジティブなものを残していかなければダメだ」という理由で書き換えたのこと。

最後に、一番すばらしいと思った村上春樹の言葉とかわいいと思った言葉を載せておく。

リズムが死んじゃうんだよね。僕がいつも言うことだけど、優れたパーカッショニストは、一番大事な音を叩かない。それはすごく大事なことです。

一部の人は評価してくれたかもしれない。デモね、たとえば道で会って、村上さんの小説のすごいファンなんです、とか言う人が入じゃないですか。もちろんそれは本当のことなんだろうけど、でもあと二年くらい経ったら。「村上ってもうダメだよな」とか言ってんじゃないかと想像しちゃうわけ。