イザベラ・バード(時岡敬子訳)『イザベラ・バードの日本紀行』ebook

イザベラ・バードの日本紀行 合本版 (講談社学術文庫)

イザベラ・バードは1831年イングランド生まれの女性冒険家。世界各地を旅行しいくつか旅行記を残しているが、その中のひとつがこの日本を訪れて書かれたものだ。まだ維新から10年後の1878年、元号でいうと明治11年だ。5月21日に船で横浜に上陸してから12月24日に同じく横浜から上船するまでおよそ7ヶ月間日本に滞在したことになる。

その間最大の冒険は東京から日光を通り新潟に出て日本海沿岸を青森まで北上しさらに津軽海峡を渡り北海道の各地をめぐる三ヶ月あまりの旅程だ。外国人が通るのははじめて、当時まだ交通機関も道路も整備されておらず人力車、馬、徒歩による旅となる。おまけにこの年は記録的な天候不順だったようで終始激しい雨に苦しめられた。馬から何度も落ちたり急流を泳いだりインディ・ジョーンズばりの活躍をしたのだが、このときバードは47歳、しかも日本に来たのは体調不良の療養の目的もあったというのだからものすごいバイタリティーだ。

紀行文であるが、親しい人にあてた手紙をベースにしているためけっこうなんでもあけすけに書いてある。おまけに学術肌の人らしく常に具体的な数値を添えて記述が緻密だ。そんな筆致で明治初頭の日本の姿が描かれている。ちょっとその記述からいくつか目につくところを拾ってみる。

どこにいっても人々は勤勉で驚くほど治安がいい。均質的で礼儀正しい。会話の内容が乏しく政治の話題はタブー、自分の意見を明らかにすることを恐れている。宗教は廃れていて信仰を持っていない。土地に対するきわめて断固たる愛着がある。官吏はどこへ行っても莫大な量のむだな書類を書きまくっている。というのはあまり現代と変わらない。ただ、子供はみな大人しくて従順で、大人はみな子供が好きで大事にしている、というのはちょっと変わったかもしれない。

他に今はもう痕跡がないものを挙げる。男性も女性もほとんど和装。女性は髷を結い、既婚者はお歯黒をしていた。どこでも宿屋は概ね騒々しく蚊と蚤に悩まされる。まだマラリアは撲滅されていない(南洋の病気だと思っていたが日本にあったのは驚き)。地方では外国人がめずらしく総出で見物にやってくる。

この本の白眉と言えるのは、北海道のアイヌについての記述だ。当時の彼らの生活の様子がとても細かく描かれている。子供は4,5歳になるまで名前がない。刺青を入れている。酒をよく飲む。捕まえてきた子熊を成長するまで育て祭の日に殺す。そして熊はイコール神(カムイ)でもある。驚いたのが義経が死なずに北海道に渡ったことにされていて彼らのヒーローとして信仰の対象になっていたことだ。今でも義経神社というのが残っている。バードを彼らを「未開人」と呼んでいるが、温和な性質や体格、容貌に関しては褒めている。

この旅には通訳件ガイドとして19歳の伊藤という男性が同行している。バードの伊藤に対する描写がおもしろい。勉強熱心、優秀で気が利く反面、差別的で無遠慮。厳しい目でみながらも旅が終わり別れたあと彼の存在を恋しく思ったりもしている。フルネームは伊藤鶴吉といってその後も通訳として名をはせたらしい。

バードは敬虔なキリスト教徒で、倫理的な文明を築くにはキリスト教は不可欠だと思っていたようだ。本書の中の幾分かは日本におけるキリスト教の布教の話に割かれている。後半、京都で浄土真宗の高僧の語る宗教論とそれに対するバードの感想が載っていたりして、当時の日本の宗教地図のようなものがうかがい知れる。そしてそれは現代も案外変わっていない。廃仏毀釈で傷を被り廃れつつある仏教、空虚で無内容な神道、民衆にはびこる迷信とまじない、知識層の無信仰。彼女は、「教育を受けた現代日本人のようなおよそ徹底した無信仰や実に完全な物質主義は、この地上のほかのどこにもおそらくないのではあるまいか」というように嘆いている。

電子書籍で読んだので本の厚みを確認せずに読み始めたのだが圧倒的な分量だった。つくづくバードのバイタリティーに圧倒された。