レイモンド・チャンドラー(村上春樹訳)『さよなら、愛しい人』

さよなら、愛しい人

村上春樹訳のチャンドラー第二弾。清水俊二訳は既読だが、気持ちいいくらいすかーんと忘れていた。

フィリップ・マーロウは、たまたまムース・マロイという巨漢が殺人をおかすところに遭遇する。彼は刑期を終えたばかりで昔の恋人ヴェルマを探していた。興味をもったマーロウは個人的にヴェルマのことをさがしはじめる。そんなマーロウに仕事の依頼が来る。盗まれた宝石を身代金と引き替えに取り返しにいくから護衛してくれというのだ。受け渡し現場にいったマーロウは背後から殴られ気絶する。目が覚めた彼は、依頼人の死体を発見する……。

というめくるめくストーリー展開もすばらしいのだけど、チャンドラーの美点はなんといっても不思議なユーモアを含んだ比喩表現にある。それが村上春樹の訳で読めるなんてなんという贅沢だろう。その比喩のフィルターを通すことで、単なるハードボイルドの探偵小説ではなく、夢の中をさまよう幻想文学を読んでいるような浮遊感を感じる。

マーロウは女性に対してはかなり辛辣だが、『ロング・グッドバイ』のテリー・レノックスのように特定の男性に対しては、ロマンチックといっていいような「友情」を抱く。今回のマロイに対しても、ぼくなんかは単なる粗暴な差別主義者じゃないかと思ってしまうが、マーロウはちょっとどうかと思うくらい親和的だ。この小説には、そのほかに巨漢がなんと二人も出てくるのだが(たぶん、登場人物の平均身長、体重はチャンドラーの長編中ナンバーワンだ)、みんな好感度高く描写されている。悪徳警官の「ヘミングウェイ」ですらもそうなのだ。ひょっとするとチャンドラーにそういう趣味があるのかと勘ぐってしまいそうになった。

訳者あとがきによると、次は『リトル・シスター』(旧訳のタイトルは『かわいい女』)を訳すことになっているらしい。これも楽しみだ。