グレッグ・イーガン(山岸真編訳)『TAP』
グレッグ・イーガンの邦訳されていない短編もそろそろ残り少なくなってきて、鍋の残り汁みたいな短編集なんだけど、イーガンらしくないSF的にソフトな作品やホラータッチの作品も含まれていて、別の面を垣間見させてもらった。でもやっぱりおもしろいのはイーガンらしい作品だ。イーガンというとハードSFの極北というイメージがあるが、ぼくはそれ以上にモラリストだと思ってきた。今回は特に彼のモラルがうかがえる作品が多い。
宝くじで億万長者になった夫婦が、遺伝子操作で完全無欠な子供をつくろうとする『ユージーン』。動物の脳に人工的に腫瘍をうえつけて育てられた存在の自己告発-—『悪魔の移住』。皮膚全体が溶けて死に至る恐るべき疫病と、人々の間にはびこる反科学主義-—『銀炎』。移民排斥をあおる人々と、自分たちおよびその子孫の遺伝子を構成する塩基を変えて完璧なウイルス耐性を得ることで他の人々との差別化を行おうとする人々をパラレルに描く『要塞』。
「永遠に生きる」ということの意味を追求する『森の奥』。「ある日、だれかが、どこかで、きみが考えたのと同じように考え、きみがふるまったのと同じようにふるまう。ほんの一秒か二秒のことであっても、そのときその人はきみになっている」。そうそう、実はスピノザのいう永遠の相やニーチェの永劫回帰は具体的にはそういうことなんじゃないかという気がしている。
そして表題作の『TAP』。TAP(Total Affect Protocol)とは脳にチップを埋め込むことにより、ある感情や感覚をひとつの単語として自由に記録、再現、伝達できる言語体系をさす。単語をふつうに「プレイ」して際限のない追体験をすることもできるが、「スキャン」という機能が体系の中に組み込まれていて、その単語の成り立ちを十全に理解することができる。たとえば、「愛国心」、「悟り」、「情欲」なんていうものも、ひたりきることもできるけど、スキャンすればそのお里が知れてしまうわけだ。
イーガンにとっては理解することが正義だ。そしてその理解がもたらす帰結をすべて受け入れようとする。イーガンの小説は、その帰結が受け入れられたときにどうなるのか確認するための思考実験なのかもしれない。
お勧め★