夏目漱石『吾輩は猫である』

吾輩は猫である

ラストで猫が死ぬ話はやだなと思ってずっと避けてきたのだけど、考えてみればラストで人が死ぬ話は数多く読んできたし、この間などはラストに犬が死ぬ話までも読んでしまった。猫だけ特別扱いするのも理に適わないので、このあたりで目を通しておくことにした。

猫は単なる狂言回しでほんとうの主人公は飼い主の苦沙弥先生、すなわち漱石自身だ。よくここまで自分のことを客観的に観察して、しかもあけすけに書けるものだと思う。彼の抱えるコンプレックス、性格のゆがみ、世間との軋轢が克明に記されている。もちろんそれは過剰に戯画化して冗談めかして語られているのだけど、なんだかとても痛々しく感じてしまう。斜に構えてなんでも冗談の種にしなくては気がすまない迷亭や、個のこだわりを捨てて悟りを得ることを説く独仙と、苦沙弥先生との会話はとても洒脱だけど、どこか独白めいている。彼らもまた漱石の分身なのだ。ほかのどの作品より漱石自身が描かれているのは間違いない。

特にストーリーがないまま、ある家にやってくる人々の会話だけでつないでゆく小説をどこか別なところで読んだなと思ったら、保坂和志だった。実は保坂和志の原点は『吾輩は猫である』なのかもしれない。