グレッグ・イーガン(山岸真訳)『ディアスポラ』
年代記形式でいくつかのエピソードを絡み合わせ、はるか彼方への孤高で孤独な旅の軌跡をたどってゆく。
紀元30世紀。人類のほとんどは仮想現実の世界でソフトウェアとして生きていて、ほぼ永遠といっていいような生命を得ている。たいていの「人間」親となる数名の精神の要素を組み合わせることによって生まれるが、一連の物語で主要な役割を果たすヤチマは、実験的なパラメータから作られた、親を持たない「孤児」とよばれる存在だ。
そんな中でも、一部の人間たちは自分たちの遺伝子を改変させて肉体の姿で暮らしていたが、100光年彼方の双子の中性子星の合体により、強烈なガンマ線バーストが地球にも降り注ぎ、肉体人は滅亡し、この宇宙が決して安全な場所でないことが判明する。
こうして一部の人々の間で、安全な場所(または安全を得る方法)を探索する旅がはじまる。その過程で60世紀くらいにソフトウェア化された人類が宿るポリスというハードウェアを含めてすべてを一掃するような強烈なバーストが発生することが明らかになる。1000年もの恒星間の旅のあと、ワームホールを抜け6次元の時空を越えその先にとりあえず安全な場所は見つかるのだが、ヤチマとその友人パウロはこれらの情報を残していってくれたトランスミューターという存在のあとを追いかけることを選択する。その長大な探索の果てに彼らがみたものは……。
解説には文系読者にとって難解と書いてあったが、へたれの理系読者にとっては一部用語がわかるだけに余計難解だった。冒頭の新たな精神がソフトウェア的に誕生するところ、素粒子=ワームホールの口というコズチ理論、5次元空間の描写。目がくらむ。
永遠の知性。知識に対する無限の探求。読んでいてスピノザの影がちらちら見えたような気がした。ちょっと索漠としたラストシーンもある意味、経験に対する理性の優位を謳った賛歌ともいえる。30世紀のエチカといっていいかもしれない。