“summer” というキーワードで検索してヒットした作品。 ぼくは壁に沿って丘をくだっていた 門の向こうを見ようとのびをして ふりかえったときあなたをはじめて見た あなたは丘をのぼっていた。ぼくたちは出会った。でもその日 ぼくたちがしたのは夏の砂の中で大小の 足跡を混ぜ合わせただけだった。まるで 二人以下で一人以上のぼくたちの 絵を描くみたいに。あなたの日傘は 深く突き刺さって小数点をつけていた 話している間あなたはずっと 微笑みかける相手がいるみたいに下の方の砂をみていた (ああ、それはぼくへの偏見ではなかったが) そのあとぼくは出会う前にあなたが通った道をゆき あなたはぼくが通った道をいった ...
久々に翻訳。 希望は羽のあるいきもの こころの止まり木にとまり 言葉のない歌を歌い 歌声がやむことはない 甘い声は強風の中でもきこえる 嵐は苛酷なのだろう ぬくもりをためこんだ 小鳥が当惑するくらい わたしはいちばん寒い国でその声をきいた 見知らぬ海の上でもきいた どんな窮地におちいっても 希望はわたしにパンくずをねだることはない ...
フォーレ、ドビュッシー、プーランクなどフランス歌曲ファンなので、ここらでなにかひとつ歌詞を訳してみようと物色して、最初に試したのが Paul Verlaine の 《Il pleure dans mon cœur》。これは理由なき喪失感をうたったとても切実でいい詩なんだけど、有名すぎてさんざん訳されているし、同じ内容の言い換えが多いので、訳していて面白さがないし気も滅入ってくる。そこで、プーランクの歌曲以外ではあまり知られてないこっちの詩に切り替えてみた。 ...
ぼくも小石になりたい! 原文: http://www.bartleby.com/113/2033.html 小石はなんて幸せなんだろう 道をひとりでぶらついて キャリアなんて気にしない 緊急事態も怖れずに たった今世界がまとう 素朴な茶色のコートが一張羅 協調するかひとりで輝くか 思うがままの太陽みたいで 飾らない単純さで 絶対的な神意を充たす ...
思ってた以上に前向きな詩だった。訳すことでなにか癒されたような気もする。よし、明日こそがんばって草を刈ろう! ひとつをのぞいて森の傍らでは物音はしなかった わたしの長い大鎌が地面に囁きかけていたのだ 何を囁いていたのかって?わたし自身もわからない たぶん、日向の暑さについてぼそぼそ 音がしないことについて、たぶん、ぶつぶつ—— だから声を出して話すんじゃなくて囁いたのだ それはくつろぐ時間ができたり、 妖精やエルフから黄金がもらえたりするような夢じゃない 真剣な愛にとっては真実以上のどんなものも弱々しすぎるようにみえただろう その愛は窪地を幾列にも渡ってならし 先端が弱々しく尖った花(青白いラン)を巻き込み 鮮やかな緑色のヘビを怖れさせる これはほんとうにあったことだが、働くものたちが知るもっとも甘い夢でもある わたしの長い大鎌は囁いた、そして干し草の材料が残った ...
彼はコーヒーを カップに入れた 彼はミルクを コーヒーカップに入れた 彼は砂糖を カフェオレの中に入れた 小さなスプーンで 彼はかき混ぜた 彼はカフェオレを飲んだ そして彼はカップを戻す わたしに話しかけずに 彼はタバコに 火をつけた 彼は煙で 輪を作った 彼は灰を 灰皿に入れた わたしに話しかけずに わたしを見ずに 彼は立ち上がった 彼は 帽子を頭にのせた 彼はレインコートを着た 雨が降っていたから 彼は出発した 雨の中 ひとことも発せず わたしを見ずに そしてわたしは 頭を手でかかえていた そして泣いていた とてもシンプルなフランス語だったので、ぼくでも訳せた。 (http://www.ph-ludwigsburg.de/html/2b-frnz-s-01/overmann/baf4/prevert/dejeuner.htm)。 ...
e.e cummings “95 poems” より “l(a” 。ちょっとむりして訳してみた。う〜ん、どうかな? ひ(は っぱ がひ とつ おち る) と り ぼっち ...
e.e. cummings “lily has a rose” ユリは薔薇をもっている (わたしにはない) 「泣かないで親愛なるスミレさん わたしのをあげるから」 「ああ、どう、どう、どういう顔で それをつければいいというの? それをあなたにくれたのは 一番背の高い男の子だというのに」 「二回キスさせてあげれば 彼はべつのをくれるわ それに彼のお兄さんは 誰にでも親切ないい人よ」 「ああ、だめ、だめ、だめ 薔薇はどうでもいいの いくら親切でいい人でも 背は高くならないのよ」 ユリは薔薇をもっている わたしにはひとつもない そして敗北は勝利にはかなわない(でも 愛は愛以上だ) ...
今年の最後に、Robert Frost の “What Fifty Said” を訳してみた。まあ、遠からずこの年齢になるわけで。いつまでも学ぶ姿勢は忘れたくないものだ。 若いころ、教師は老人たちだった。 火から遠ざかり、冷えて固まるのを待っていた 鋳造中の金属みたいにぼこぼこになった わたしは過去を学ぶために老人たちのもとへ通った いまやわたしも年をとり、教師は若者たちだ 型にはめることができないものは、ひびわれ、はずれてしまうだろう それらを縫いつけられるようになるために、わたしは懸命に学ぶ わたしは未来を学ぶために若者たちのもとへ通う ...
今度はアレン・ギンズバーグの有名な詩を訳してみる。スーパーマーケットに19世紀の大詩人ウォルト・ホイットマンがあらわれれるという妄想がたまらない。ギンズバーグとホイットマンには詩人ということの他にゲイ(バイセクシャル)という共通点があったようだ。巷の訳ではそこを無視しているものが多いのであえて強調してみた。 ...
エズラ・パウンドの俳句のように短い詩、 “In a Station of the Metro”. ひとごみの中にあらわれたおもかげ しめったくろい枝に咲く花びら ...
Robert Frost ばかりだと渇きすぎているので、トーンを変えて e. e. cummings “i shall imagine life”。 ぼくは想うだろう 人生なんて どうせ死ぬなら意味がないと もし 薔薇が自分たちの美が永遠じゃないことに 文句をいうならば(そのときは) でもたとえ人類が どんな雑草も 薔薇と同じくらい美しいとおもいこんだとしても 薔薇はただほほえむだけだろう(ときみははっきりと 思っている) ...
同じ Robert Frost の “Deserted Places” を訳してみた。 雪は降り、夜も降りてくる、速く、あっという間に 私がじっと見ていた草原は消え失せた 地面は雪に滑らかに覆われて 草や刈り株がふたつみっつ残るだけになった そこはまわりの森の一部だった 動物たちはみな巣で丸まっている 私は上の空で気づかなかった 孤独が私を包んでいた 実際ひとりぼっちで、孤独は 弱まるよりむしろ強まっていくだろう 何も知らない雪のうつろな白さには 表情はなく、うったえかけるものは何もなかった 人類がいない星々の間やその上の からっぽの宇宙はまったくこわくない ずっと近くにある 私自身の、誰もいない場所が、こわい ...
Robert Frost の “Acquainted with the Night”。最近夜に歩くことが続いているぼくのための詩だと思い込んで、池袋のスタバで即興的に twitter で訳してみたが、あまりに完成度が低かったので、あらためて訳しなおした。ここに公開する。 ...
ヴィム・ヴェンダーズの『ベルリン天使の詩』より。 子供が子供だったころ 腕をぶらぶらさせて歩いた せせらぎが川になったらいいなと思った 川が滝に 水たまりが海に 子供が子供だったころ 自分が子供だと知らず すべてに魂があり すべての魂はひとつだった 子供が子供だったころ 好き嫌いもなく 癖もなかった 足を組んで座り いきなり駆けだした 髪に寝癖をつけて 写真に写るときもすまし顔をしなかった 子供が子供だったころ これらの質問の出番がくる なぜわたしはわたしで君じゃないの? なぜわたしはここにいてそこにいないの? いつ時間がはじまって、いつ宇宙は終わるの? お日さまの下で生きているのは単なる夢じゃないのかな? わたしが見たり聞いたり嗅いだりするものは 世界がはじまる前の世界の幻じゃないの? 悪いことをする人がいるとしても 悪ってほんとうに存在するのかな? このわたしが生まれる前にはわたしは存在しなかったってどういうこと? そして、このわたしはいつかわたしじゃなくなるの? 子供が子供だったころ ホウレンソウやエンドウ豆、ライスプディングをのどにつまらせた 蒸したカリフラワーもだ 今じゃちゃんと食べられる、いやいやじゃなく 一度だけ見知らぬベッドの上で目覚めた 今では何度も何度も目覚める たくさんの人が美しく見えた 今じゃ一人か二人だけ、それも運がよければ 天国のイメージがはっきり見えた 今じゃせいぜいあるかもしれないと思うだけ 虚無なんて考えもしなかったが 今はその考えに震える 子供が子供だったころ 夢中になって遊んだ 今でも同じく興奮するが 仕事に関することだけだ 子供が子供だったころ リンゴとパンだけで十分だった 今も同じ 子供が子供だったころ イチゴで手がいっぱいになった 今もそうだ 新鮮なクルミは舌がちくちくした 今もそうだ 山に登るたび さらに高い山を求め 街にたどりつくたび さらに大きな街を求めた 今でもそうだ 一番高い桜の枝に手をのばした 今もその元気は残っている 人見知りをした 今でもそうだ 最初の雪を待った 今でも同じように待つ 子供が子供だったころ 木に向かって棒を槍のように投げつけた 今もそれはその場所で揺れている “Lied vom Kindsein(Song of Childhood)” by Peter Handke(Original, English) ...
ジム・ジャームッシュの『コーヒー&シガレッツ』の最後のエピソード「シャンパン」で、くたびれた二人の男ビルとテイラーがまずいコーヒーを飲みながら、武器庫の片隅で休憩していると、かすかにマーラーの歌曲が聞こえてくる。それは彼らの会話の中から生まれた幻聴なのだが、建物の中をいっぱいに満たす。テイラーはそれを世界でもっとも美しく悲しい曲と表現する。 ...
黄色い森の中 道が二つにわかれていた 残念だが一人旅、どちらかを選ばなきゃいけない 長い間たちつくして 片方をできるだけ遠く見おろした したばえの中で曲がるところまで それでもう一方を選んだ ほとんど平らで、印象がよかった 草深く人に踏み荒らされてなかったからだ とはいえ踏み荒らされ方は五十歩百歩だったけれど その朝等しくのびた二つの道 葉には黒く踏みつけられた跡はなかった ああ、最初の道は別の日にとっておくことにしたのだ! 道が次から次へと続くことは知っていたが 帰ってこられるかどうかわからなかった 私はこのことをため息混じりに語るだろう どこかで何年も何年も なぜなら: 森の中道が二つにわかれていた, そして私はー 私は人が通らないほうを選んだ そしてそれがすべての違いの元だったからだ WWWでこの詩を読んで勇気づけられたという人がいたが(人の通らない方を選んだから成功したという解釈)、むしろ後悔とか諦めが基調にあるような気がする。 ...