チェルフィッチュ『目的地』
作・演出:岡田利則/駒場アゴラ劇場/自2800円/2005-11-03 19:30/★★
出演:松村翔子、瀧川英次、山縣太一、下西啓正、岩本えり、山中隆次郎、難波幸太、トチアキタイヨウ
何の合図もなく舞台に女性があらわれて、「それでははじめます」とエアコンの修理でもはじめるような調子のつぶやきとともに芝居がはじまった。
彼女は知り合いの前田さんという若い女性のことを話そうとしている。意味のない繰り返しや、言いよどみや、くだけた語尾や、適切とはいえない単語の選択、それにあわせた身振り手振りが、最初のうちとても自然で、芝居というより彼女がリアルに物語っているような気がしてくるが、やがて繰り返しが多くなり話が全然進まないことに気がつく。身振り手振りが誇張され不思議なダンスのように見えてくる。緊張感と単調さが入り交じった不思議な空気は、やがてもとの自然さにとってかわられる。
そこで話されているのは大げさな前振りからすれば何ていうことのない、前田さんが生理がこなくてふがいない彼氏に相談するというものだったりする。そして、そのシーンが実際に演じられる。ある役が特定の役者に100%結びつけられているわけでもなく、かといって自由自在に役を移り変わるでもない。二人以上が登場するシーンでもいわゆる会話や対話はなく、そこで発せられる言葉はすべてモノローグだ。そういういくつかのスケッチの連続で物語というか、物語の輪郭のようなものがぼんやりと描き出されてゆく。
物語をひとことでいえば、港北ニュータウンに住む若夫婦が、猫を飼おうと思っていたのだけど、妻の妊娠がわかったのでやめるという、ただそれだけのことになってしまうが、各スケッチでは、そういう大枠をむしろ裏切ってゆく要素が描き出される。たとえば、夫の方は動物には興味がなく猫なんてどうでもいいと思っているんだし、妄想の中で妻の架空の浮気相手にエコロジカルな不安を代弁させたりしている。妻が自分で制御できないような不安を訴えたときに、結局はどうにかなるんだよ的なもっともらしいことをいうのだが、それは、後輩である、前田さんの彼氏が相談に訪れたときに返した言葉と一言一句違えず同じだったりする。
ひとつにはまとまりえないゆらぎにあふれた芝居とでもいおうか。終演後のアフタートークで、作、演出の岡田利則はそれをノイズと呼んでいた。そのノイズに意味があるわけではなく、その向こうにあるもの、またはないものがポイントなんだと思う。ちょっと今回だけではそれが見えたとはいえなくて、あっけにとられたという感じだろうか。逆に記憶の中で鮮明になってゆくタイプの芝居だ。