エルサレムの村上春樹

もし固くて高い壁があって、卵がそれにぶつかって割れていたら、どんなに壁が正しくて、どんなに卵がまちがっていても、わたしは卵の側に立ちます。なぜかって?わたしたちひとりひとりが卵だからですよ。壊れやすい卵の中の固有の魂です。わたしたちそれぞれが高い壁に立ち向かっています。高い壁というのは、個人としてならするべきではないと思うようなことでも、無理矢理させてしまうシステムのことです。

Murakami defies protests to accept Jerusalem prize | Books | guardian.co.uk(拙訳)

村上春樹がエルサレム賞を受賞した際のスピーチ、すばらしかった。辞退すべきだという人たちもいて、一ファンとして気をもんでいたのだが、やはり授賞式に参加して正解だったと思う。小説家という職業に就いているからには、自分の言葉で直接メッセージを伝える機会があるのに、それをしないというのは、職業倫理にもとる。

「卵」と「壁」。とても直接的ですばらしい比喩だ。本質的に争っているのは、パレスチナとイスラエルでも、善と悪でもない。これは卵と壁の戦いなのだ。壁を高くしようとしているのは向こう側だけじゃない、こちら側も同じで、知らずに知らずにすべてを敵と味方に分ける壁を築いてその番人になろうとしている。でも、卵は壁のどちら側にもいるし、壁をくずすには向こう側の卵たちの協力も必要だ。授賞式に参加したのは、壁の向こう側にメッセージをとどけるためだった。もし、欠席して沈黙を守っていたら、結果的に卵ではなく壁の側に立つことになっていただろう。

エルサレム賞が「社会における個人の自由」を描いた作家に贈られるというのは、ある意味、今のイスラエルに対して文句をつけない人はもらう資格がない賞ということだ。そういう意味で、まさに村上春樹がもらうべき賞といってもいいんじゃないか。

追記

講演の内容の全文が公開された。

すぐにネットで日本訳がでてくるだろうと思った予感はその通りで、すでにいくつか公開されているが、その中で一番しっくりきたのは以下の finalvent さんの訳だ。

報道で流れた要約だけで軽々しくものをいってはいけないとわかっていたが、つい勇み足でこのエントリーを書いてしまった。こうして全文を読んでも、トーンは要約から想像していたとおりで、この文章を書き直す必要はないと思うが、ただ「すばらしい」という言葉を伝え聞いた要約でなく、こちらの全文のほうにあらためて与えなおしたいと思う。