保坂和志『残響』
ほんとうは『草の上の朝食』を買おうと思っていたのだが、勤務先近くの本屋になかったので代わりにこっちを買ったのだった。『コーリング』と『残響』という二編からなる中編集。ちょっと今まで読んだ保坂作品(といってもこれが3冊目だが)とは毛色が違った。
三人称で書かれていて、複数の主人公の心理を映画的なカットバックの手法で切り替えている。また、特徴的な長いセンテンスが抑制されていて、ちょっと読んだだけだと、20代から30代前半の若者の味気ない日常を描いたありきたりな小説と見分けがつかない。
昔世話になったり、つきあっていたしたけど、今は疎遠になってしまった人のことを誰もがそれとなく思い出したりしている。それは片方向のもので相手に届くことはない。描かれているのは、ひとりひとりが何かしらの音をだしてもそれが響きあうことはないという、本質的なさみしさだ。
たとえば先に書かれた『コーリング』では、「東京コーリング人材開発派遣センタア」という会社に一時期勤めていた浩二、美緒、恵子、三人のこうした響きあわない呼びかけ(コーリング)が描かれている。それは『コーリング』、『残響』共通だけど、『コーリング』の方では、恵子の友人(子供の同級生の母)の母が脳梗塞で倒れてから人格がすっかり変わってしまったというエピソードを通して、時とともに人はすっかり変わってしまうというより深いさみしさが描かれている。
『残響』では別れた夫婦の夫の方の俊夫、その住んでいた家に越した夫婦、啓司とゆかり、そして別れた夫婦の妻の彩子の後輩だった早夜香の四人。こちらは離婚という出来事のあとの時間の流れをうまく描いていて、この心理描写のカットバックという手法が存分にいかされた作品だと思う。
と、読み込むととても深い作品なのだが、個人的には読んでいて楽しい『プレーンソング』の方が好きだ。
★★