円城塔『これはペンです』

これはペンです (新潮文庫)

何かどこかの手違いでここまで目を通してしまい、憤っている人がいたとするなら、その誤配を謝りたい。最初から自分宛の手紙ではないとわかっただろうと思うわけだが。その場合、できればこの手記を必要としていそうな人物へと転送していただければ幸いだ。

というわけで転送されてきた。

今まで読んだ円城塔の小説は、小説読者以外の別の対象向けに別の目的で書かれた文章を、あたかも小説であるかのように読んでいるつもりで読んでいた。そこで、意味を求めてしまうと壁にぶつかってしまうんだけど、その壁をなぜか叙情だけは通り抜けてこっちにやってくる。その高純度の叙情を楽しんでいた。

しかし、これは紛う事なく「読者」に向けて書かれた小説だ。それでいて俗情に阿てもいないし、わかりやすさに走ることもない。奇を衒うことはあるかもしれない。

ある家族を描いた二編の連作中編という体。

表題作は、姪と叔父が奇妙な往復書簡。幼い頃会ったきりで、姪は叔父の姿を覚えていない。叔父は論文を自動生成するプログラムをつくって、のちに種明かしの論文をそのプログラムに書かせて発表した。事業を売り渡した後、そのプログラムが生成した論文を見破るプログラムを開発するという節操のなさを発揮している。この小説は、姪がそんな叔父を見つけだそうとする試みだ。

表題作はいわば前奏曲で、もう一編の『良い夜をもっている』が実は本編といっていい。表面的には支離滅裂なことを言ったり、しているとしか思えない、経験したことをすべて記憶できる超記憶力をもった男の住む内的世界(それは巨大な都市の様相を呈している)に、神秘ではなく、言語の力だけを使って迫った、哲学書以上に哲学的な力作。

すでに商業的に成功している村上春樹にはあげる必要ないから、円城塔にこそノーベル文学賞を。