オルダス・ハクスリー(黒原敏行訳)『すばらしい新世界』

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

ディストピアマニアとしてはこの作品を読まないままにしておくわけにはいかない。本屋で何気なく探したらちょうどこの新訳がでたばかりというタイミングのよさだった。同じディストピアものでもオーウェルの『1984』とは対極的、こちらは主観的にははるかに楽しい世界だ。

人間は完全な人工受精が可能になっていて母親、父親、家族というものはなくなり、集団で公的機関が育成するようになっている。人は社会を主導する知的労働に従事するαから単調作業をおこなうεの大きく5つの階級に分かれ、受精の時から薬剤や暗示でそれぞれの階級に適合するように条件付けがおこなわれる。病気や老いから解放され、精神的なストレスや悩み事もソーマという害の少ない合成麻薬で簡単に解消される。結婚制度はなくなりフリーセックスが推奨され、恋愛にまつわる苦悩からも自由だ。宗教はなくフォード自動車の創始者ヘンリー・フォードが神格化されている。消費が美徳とされ節制は悪とされる。カップルや集団で楽しむ娯楽は整備され、極力ひとりで何かを考える時間が少なくなるように配慮されている。60歳になると老衰になり苦痛なくこの世とおさらばできる。しかも、何らかの理由でこういう世界に馴染めない人たちにもある程度寛大で辺境の島で好きな事ができるようになっている。

表層的な娯楽ばかりの文化的な貧しさ、人間性の剥奪、画一的なライフスタイルとそこから離れる自由のなさ、優生主義的な階級制度など、確かにひどい部分も多いけど、それもこれも安定して平和な社会を保つためであり、ちゃんと理由があることなのだ。ぼくは合理主義と進歩主義に信をおく人間だけど、その行く末にこういう社会が待っている可能性は大きいと認めざるを得ないし、またそれを単純にディストピアと呼んで否定しきれない。今の世界と比べてどちらが幸せか、人間が人間らしく生きられるかよくわからない。

この社会の紹介に紙幅を大きくさかれて、ストーリー自体はとても単純だ。周囲と隔絶された野蛮人居留地からこの「文明世界」にやってきた文明人の血をひく青年ジョンの気高い魂と深みを欠いた世界との軋轢が描かれる。ジョンのバックボーンである迷信と旧弊にあふれた未開社会の(幾分は今のぼくたちの社会の)価値観(ジョンはそこにシェイクスピアを接ぎ木しているが)と、「新世界」の価値観では最初から勝負にならない。むしろ「新世界」も悪くないんじゃないかと思ってしまう。

読み応えや文学的価値は『1984』とかと比べると負けてしまうが、リアリティがすごい。この小説世界の2049年に9年戦争という炭疽菌爆弾が使われる戦争が起きたことになっているんだけど、まるで911からはじまったテロとの戦いを彷彿とさせる。その反省をふまえての超安定化社会が「新世界」なのだが、それと現在のセキュリティ志向の高まりがパラレルに感じられる。もう「新世界」ははじまっているのかもしれない。