ザミャーチン(松下隆志訳)『われら』

完成は1921年なので、ディストピア小説の嚆矢といってよさそうだ。ロシア革命からまだ4年でソビエトの共産主義体制は流動的だし、ナチスは影も形もなかった。そんな時期に現代的というか未来的な全体主義の姿を克明に思い描いたのは先見の明としかいいようがない。 ...

マーガレット・アトウッド(斎藤英治訳)『侍女の物語』

今やディストピア小説の古典のひとつといっていい作品。ディストピアマニアとしては読んでおかなくてはいけない。 「侍女」という言葉の重々しさから、読む前は今の文明と隔絶した遙か未来か過去、あるいは別の惑星の物語のような気がしていたが、なんと原書が出版された1985年からみると近未来、今はもう過去の2000年前後の時代設定だった。舞台はアメリカ。極端な不妊、少子化を背景に、極右勢力が大統領を暗殺してクーデターを起こし、人種差別、女性差別的な身分制社会を作りあげる。トランプ政権が誕生した今からみると予言的なものを感じてしまう。同じディストピア小説の中で『1984』と比べても圧倒的なリアルな状況設定だ。 ...

村田沙耶香『消滅世界』

人工授精が一般化しセックスによる生殖が行われなくなった並行世界の日本が舞台。夫婦は人工授精で生まれた子供を育てるための姉弟や兄妹のような関係で、夫婦間でセックスをすることは「近親相姦」と呼ばれてタブーとなり、それぞれ別に恋人(リアルの人間の場合もあればフィクションのキャラクターである場合もある)をもつことがふつうになる。そんななか生身のセックスをする人たちはどんどん減ってゆく。 ...

オルダス・ハクスリー(黒原敏行訳)『すばらしい新世界』

ディストピアマニアとしてはこの作品を読まないままにしておくわけにはいかない。本屋で何気なく探したらちょうどこの新訳がでたばかりというタイミングのよさだった。同じディストピアものでもオーウェルの『1984』とは対極的、こちらは主観的にははるかに楽しい世界だ。 ...

パウロ・バチカルビ(田中一江、金子浩訳)『ねじまき少女』

何となく手を出しそびれていたのはタイトルや帯の惹句から、一種のラノベなんじゃないかと思ったからだ。そんなことは全然なく、技術や人類の未来についてとても深く考えさせる硬質な物語だった。 ...

パオロ・バチカルビ(中原尚哉、金子浩訳)『第六ポンプ』

これだけ夢中になった SF(いやSF以外も含めて)短編集は久しぶり。次の作品を読むのが楽しみでしかたなかった。 どの作品もほぼ近未来のディストピア的世界が舞台になっている。炭素エネルギーが枯渇し。遺伝子改良された動物や植物が跋扈し、ネジがエネルギーの蓄積手段として復活をとげ、貧富の差が著しく拡大している世界(『カロリーマン』、『イエローカードマン』)。永遠の生が得られるようになり出産が厳格に禁止された世界で、子供を殺すのが使命の警察官の物語(『ポップ隊』)。人間が退化したトログという両性具有の生きものがあふれ、残った人間も愚鈍化が進み、設備が徐々に壊れていく世界(『第六ポンプ』)、貴族制と奴隷制のもと、人体改造で楽器にされた少女の物語(『フルーティッド・ガールズ』)。などなど。荒唐無稽どころか、現代の延長線上に十分ありえる未来像だ。 ...

コーマック・マッカーシー(黒原敏行訳)『ザ・ロード』

久しぶりに心がうちふるえる読書体験だった。 世界の終わりを描いた文学作品は数多くあれど、これはその中でも究極的に苛酷な状況。 おそらく核戦争で地球が焼き尽くされてから何年かが経過したあとの世界。核の冬により気温が急激に下がり、動植物はほぼ絶滅している。ごく少数の生き残った人間たちは、残り少ない食料をめぐって万人の万人に対する闘争状態におちいり、食べるために人を襲う人食い集団が跋扈する。そんな中を、父と少年の二人は少しでも暖かい土地を求めて南へ徒歩で旅する、「火を運び」ながら。 ...

小川洋子『密やかな結晶』

小川洋子は初読。主人公の女性のメンタリティを反映しているのかもしれないが、淡々としたはかなげな文体だ。 ひとつひとつ、ものが消滅してゆく島が舞台。「消滅」というのは物理的になくなるのではなく、人が認識できなくなることを意味している。たとえば薔薇が失われるというのは、薔薇の花がもっていた意味合い(きれいだとか、いい匂いだとか、とげがある……)やそれにまつわる記憶がなくなることだ。それだけでなく、人はそういう意味がないものが自分の周囲にあることにとてつもない違和感を感じてしまうので、自ら進んでそのものを消し去ろうとする。秘密警察と呼ばれる(カフカ的な)官僚組織がさらに追い打ちをかけるように、組織的に消滅を推し進めてゆく。そうして、結果的にはそのものは物理的に消滅するわけだ。 ...