カズオ・イシグロ(入江真佐子訳)『わたしたちが孤児だったころ』
カズオ・イシグロは、望みや使命を果たすことができず何らかの悔恨、失意とともに生きるようになった人を一貫して描いているような気がする。この作品でも、長じて探偵として活躍するようになった主人公が、満を持して生まれ故郷の上海に戻り、少年時代に相次いで失踪した両親の行方を追跡するが、日中戦争開戦の混乱や彼の属するイギリス人社会にはびこる無気力のせいもあって、なかなか成果をあげられない。あきらめかけた頃、真相は意外なところからやってきた……。
7つのパートのそれぞれに(最後のパートをのぞいて)1930年代の日付が記されているが、中で記されているのはほとんどが過去の回想で、主に少年時代、そこに数日前の出来事がはさみこまれている。主人公は世紀の変わり目1900年前後にうまれているので、主に30代だ。上海に渡ってからは、このひとつ前の作品『充たされざる者』を彷彿とさせる。町を救うためのヒーローとして赴いたものの、不可解な出来事の連鎖に忙殺されて何の成果もあげられないところが、共通していて、ただこちらはよりリアルな状況設定になっている。なんといってもあやふやな手がかりを信じて戦闘の最前線を探索するシーンは圧巻だった。
最後のパートはいきなり時代が1958年にとぶ。リューマチに苦しめられ過去の失われた栄光にすがる日々だが、おそまきながら最終的に目的を果たし、そこには安らぎ、平和のようなものが感じられる。ストーリーとしてはセンチメンタリズムは免れないんだけど、カズオ・イシグロはそれにおぼれたりはせず、主人公の人生を冷徹に描いてる。酸味と苦さが入り交じった不思議な味のキャンディーをなめているようだった。
でもやっぱりぼくは『充たされざる者』の方が好きだ。