カズオ・イシグロ(古賀林幸訳)『充たされざる者』
<img src=“http://i1.wp.com/ecx.images-amazon.com/images/I/411xB-d1cNL._SL160_.jpg?w=660" alt=“充たされざる者 (ハヤカワepi文庫)” class=“alignleft” style=“float: left; margin: 0 20px 20px 0;”” data-recalc-dims=“1” />
以前『日の名残』を読んだときには、「すごい」というより「うまい」というタイプの作家かと思ったが、謹んで訂正したいと思う。カズオ・イシグロはすごい。
文庫で900ページ以上ある大作だが、一気に読んでしまった。
高名なピアニスト、ライダーがヨーロッパのある地方都市(住民の名前からするとドイツ語圏のようだ)を訪れる。その町にはなんらかの危機が訪れていてライダーはその救世主として期待されているようだ。数日後にひかえた「木曜の夕べ」という催しにむけて、ハードスケジュールをこなそうとするが、市民たちからのさまざまな頼み事や自分自身の問題で、「危機」の詳細がわからないままどんどん時間が過ぎてゆく……。
すべてが夢の中のようだ。ライダーの注意力は散漫で記憶も曖昧。ホテルのポーターから依頼されてその娘と孫に会いにいくとそれが自分の妻と義理の息子であることに、彼女たちと話している間に徐々に気がついたりする。町は迷宮のようで、車で行き来する必要がある遠くの建物同士が内部でつながっていたり、目の前の建物には長い壁が邪魔してたどりつけない。また、ライダーは、人の心の中の思いを読み取る場面があったり、家の外にいるのに中で話されている内容や部屋の様子がわかる場面もある。かといって、ライダーに超常的な特殊能力があるというわけじゃない。ライダーの行動は、たった今までしようとしてしていたことを忘れて、行き当たりばったりに問題に対処していて、一貫性がない。感情も不安定で、怒りと優しさの間をふらふら揺れ動いている。
そうして結局ライダーはほとんど何一つ問題を解決できないまま、町を去ってゆく(それは彼自身のせいというより主宰者側のある人物の筋書き通りだったのだけど)。でも、市民たちは朝のさわやかな空気の中で日常を続けていく。読者にも謎は明かされず不可解なまま物語はおわる。でもカフカの物語がそうであるように、全然気持ち悪さは感じなかった。逆に、夢をみて目覚めたあとの爽快感のようなものが残る。
自由奔放な遊び心が感じられる作品だった。奇想天外なユーモアに途中何度もにやにや笑ってしまった。
ところで、この物語の世界では宗教の代わりの位置を音楽、特に現代音楽が占めているようだ。だからライダーは単なる音楽家というより精神的な指導者の役割を期待されている。それは何を意味しているのだろうか。