カズオ・イシグロ(土屋政雄訳)『日の名残り』
長年ひとつの屋敷に勤め上げ老境にさしかかった執事ミスター・スティーブンスが、イングランド西部地方を自動車で一人旅する。彼の目に映るのは現在(1956年が舞台)の風景より、過去の思い出だ。最初、自らの高い職業意識と、かつての主人ダーリントン卿に対する尊敬の念が語られて、失われゆく時代、文化に対するノスタルジーがテーマのちょっとアナクロな作品なのかと思わせるが、だんだんこのスティーブンスがミステリーなどでいうところの「信頼できない語り手」であることが明らかになってきて、これがまぎれもない現代の小説であることがわかる。
ダーリントン卿は結果としてナチに協力してしまったために名誉を失った人間だし、スティーブンス自身も、執事という殻の中に閉じこもって、その殻を通してのみ世の中と関わっていた孤独な人間にすぎなかった。そんな彼が、はじめて殻から飛び出ようとした試み、それがこの旅行だったのだ。その最大のイベントは、昔一緒に働いていた女性ミス・ケントンを訪ねることで、道中反芻する思い出の半分近くが彼女に関するものだ。彼女に出会うことで、彼はあらためて、自分にはもうなにひとつ残されていないことを悟る。その衝撃の深さが丸一日あいた語りの空白で示される。
ミスター・スティーブンスという一個人の半生を描きながら、執事という、紳士の皮をかぶりながらブルーカラーでもあるキメラ的な立場の人間を描くことで、イギリスの階級社会のある側面をえぐってみせてくれたような気がする。「すごい」というより「うまい」というタイプの作品。そのうまさがとことん洗練されていて、現代のディケンズという称号をあげたくなった。さすが、村上春樹がファンだというだけのことはある。