北杜夫『楡家の人びと』
数十年を経ての再読。最初に読んだときは子どもの本から大人の本への移行期だったので、適切な感想をもてなかった気がする。そのときはぼんやりと悲劇と思ったが、今回読んでみて、少なくとも第一部と第二部はむしろ喜劇だった。
著者である北杜夫の生家斉藤家をモデルに楡家の人びとを描いた年代記。単なる家族の物語と異なるのは彼らが経営する精神科の病院が主要な舞台になっていることだ。第一部は病院の創設者楡基一郎が主人公で病院の最盛期から失火で全焼し、梅ヶ丘の新天地で再出発しようとするさなか喜一郎が突然亡くなるところまで。それと同時に大正という時代が終わる。第二部は基一郎の養子で娘婿の徹吉(斎藤茂吉がモデル)たちが病院を立てなおすが家庭崩壊するありさまを、戦前昭和の徐々にきな臭くなる世相とともに描く。第三部はアメリカとの戦争がはじまり、翻弄される楡家の人びとを描く。このパートは悲劇としかいいようがなく、登場人物の何人かは悲惨な死を遂げ、少なくともとんでもない苦杯をなめることになる。それは彼らだけでなく、日本国民全体に起きた悲劇で、ある意味この作品を特定の家族の物語から日本の個人の物語へと一般化しているともいえる。この戦争においては日本は加害者であることは否定できないが、登場人物の誰も自分たちの加害者性や、自分たちがその加害者性のある意味被害者であることを意識していない。それは作者の意図したものではないかもしれないが、日本人と戦争の関係の典型的な構図が描かれている気がする。
斉藤家と楡家の距離感は初読の時はよくわからなかったが、今はインターネットで調べられる。思ったより違っていた。名前が入れ替えられていたり。存在がなくなっていたり、イベントが起きる時期やライフストーリーも異なる。おもしろいのが作中に斎藤茂吉への揶揄的な言及があることだ。彼をモデルにした楡徹吉は文学とは無縁で代わりに『精神医学史』を著している。あたりまえだが史実とは独立した作品と考えるべきなのだろう。
初読の時にただひとつ明確に覚えているのは、ラストで基一郎の長女で徹吉の妻の龍子が病身で再起不能の夫や頼りない子どもたちに絶望しつつ、自分ががんばらなければと決意をかためるところだ。今回もこのシーンだけはずっと覚えている気がする。
第一部は病院や楡家が繁栄していく様を描いた明るくて楽しい部分だけど、女性の登場人物はほとんど強制的に十歳以上年上の男と結婚させられたり、それに逆らった喜一郎の次女聖子は非業の死を遂げり、かなり非人間的な扱いをされている。多くの人を養い、引き上げ、育んだ楡家という巨大なシステムもこういう犠牲があってのものだったのだ。
時期を大正から敗戦直後にしたことにより、ひとつの家族にとどまらず、近代日本のたどった栄華とその破滅が普遍的な形で描かれていた気がする。
★★★★