北杜夫『白きたおやかな峰』ebook

白きたおやかな峰

国家をはじめとする集団が幻想であるというのは散々語り尽くされているが、他方個人というのも文化的な構築物に過ぎず、西洋と東洋で云々というのもその対句のように語られることである。しかし、その構築物のはずの個人が否応なしに自動的に立ち上がる場所がある。そのひとつが山岳だ。山岳小説を読みたいと思ったのも、そういう否応なしに立ち上がる個人の姿を見たいと思ったからだ。

とはいえ、なかなかこれはという作品に巡り会えなかった。もともと山岳小説を読みたいと思ったきっかけは北杜夫の短編なのだけど、一周して同じ北杜夫の長編つまり本書に戻ってくることになった。

1965年、日本の民間山岳団体のメンバー10人がカラコルムのディラン(7273メートル)という山に挑む話だ。というと実録のようだが、小説の形を取っていて、登場人物の名前は変えられているし(北杜夫自身と思われるドクターの名前は柴崎)、実録では表現できない個々人の内面の心の動きが描かれている。高山という過酷な状況では人は自分に向き合うことになる。そこには確かに個人の姿がある。

一方、カラコルム登山は個人技では不可能で、徹頭徹尾チームプレイが必要だ。登頂というのは、選ばれたメンバーが少人数でやり、他のメンバーは途中のキャンプの設営や運搬などに従事し、そしてそのキャンプワークの方がむしろ集団スポーツとしての登山の本質なのだ。

ラストは不穏さの漂うオープンエンディング。山に登れたか登れなかったかはどうでもいいことで、山の巨大さの中で右往左往する人間たちのちっぽけさがテーマだということを示すような、不思議な後味を残す終わり方だ。電子書籍版では解説らしきものが収録されてなかったのでネットで調べたところ、この時の登山は、登頂はできなかったものの、一人の犠牲者も出さずに済んだそうだ。小説とは無関係なはずだが、それを知ってよかった。

★★★