鈴木智之『郊外の記憶 —— 文学とともに東京の縁を歩く』library

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東京の郊外を舞台とする文学作品(小説)を読み解きながら、そのテクストを手がかりとして町(あるいは町外れ)を歩き、それぞれの地域と空間と結びつきを再発見しようとする。以下に読まれるのは、、そうした試みの記録である。

というまえがき冒頭の一文に本書の内容がいみじくも言い尽くされている。

序章「土地の記憶と物語の間」では郊外は都心以上に伝統と記憶の希薄化が進んだ空間とされているが、「町歩き」で痕跡を掘り起こしたり「聖地巡礼」であらたに創造することがおこなわれている。物語や小説にもそのあわいで説話的に記憶を媒介する機能があるのではないかということが第1章「記憶の説話的媒介」に引き継がれ、多和田葉子『犬婿入り』と三浦しをん『むかしのはなし』を例として検討がおこなわれる。

第2章以降が実際に個々の小説を読み解いていくパート。

第2章では第1章でとりあげた多和田葉子『犬婿入り』が立川、国立近辺の地誌とからめて読み解かれる。北の団地エリアと南の農村の習俗がかすかに残るエリアとの境界で生まれる物語。

第3章では三浦しをん『まほろ駅前』シリーズ。まほろという町のモデルは町田。東京とも神奈川とも言い切れず自立した町で暮らす家族の内側を便利屋の視点から覗きみて、自分たちが家族に関して抱えているトラウマも癒されていく。

第4章。長野まゆみ『野川』の舞台はと野川上流域の国分寺崖線あたり。中学生の視点のビルドゥングスロマンだ。付近の地形の成り立ちが少年の感性に影響を与える。

第5章でとりあげられるのは、古井由吉『野川』と第4章と同じタイトルだが、第4章が野川上流域でだったのに対し中流域の深大寺が舞台で、死者の視点が入り交じった老年期の物語だ。

第6章は北村薫の『円紫さんと私』シリーズで、舞台は埼玉県杉戸町と春日部市のあたりだ。平坦な町で育った優等生の主人公が身近な謎を解明して中で人間の本質を垣間見て、成長する。

とりあげられている物語も知っているものが多かったし、町もそれなりに歩いているあたりだ。なにか特定の物語と関連付けてなくても町を歩くときにはなにがしか物語的なものが脳裏に漂っている気がする。読んでみて、それを意識するきっかけをもらった気がする。

★★