藤井太洋『ワン・モア・ヌーク』
2020年3月東京。コロナが発生せずかわりに原爆テロが発生した世界線の物語。
オリンピックを間近に控え、東日本大震災そして原発事故から9年目の、2020年3月。テロリストにより東京都心で核爆弾を爆発させるという予告がされる。プロローグとエピローグをのぞいた本篇は爆破時刻に指定された3月11日午前0時までの5日間の出来事が、テロリスト側、それを追うIAEA、CIA、そして日本警察の動きがそれぞれの視点から順繰りに語られる。
テロリストたちは一枚岩ではなく達成したい目的も異なる。
まず発案者のムフタール・シェレペット。彼女は新疆ウイグル自治区出身で母親の胎内にいるときに中国の核実験で放射線を浴び。日本に働きに来ている今全身ガンに冒され余命幾ばくもない。彼女の目的はワン・モア・ヌーク、つまり最後に一つだけ核爆弾を爆発させ、それを機に日本をはじめ世界中を核廃絶に向かわせようとしている。
シェレペットに協力するのが、モデル出身の実業家但馬樹。彼女は原発事故避難者の友人を自殺に追い込んでしまったことを悔やみ、放射能に対する正しい怖がり方を世間に知らしめ、政府を真剣なコミュニケーションに向かわせようとしている。彼女は多才で、爆弾も独力で設計・製造する。
そしてイスラム国のメンバーで原子力技術者のイブラヒム。彼は自分たちが精錬した核燃料を提供し日本に持ち込む。彼と彼のチームが爆弾の運搬と見守りを担当する。彼の目的はいわばテロリスト本来のもの。彼らのような小さな集団でも核爆弾を製造できることを見せつけ、世界をあらたなフェーズに巻き込もうとしている。
テロリスト間の仲間割れもあって、サスペンスフルに物語は進んでいく。『東京の子』でも感じたけど、登場人物に怪物はいない。冷酷無比で。敵味方の区別なく命を奪ったり捨てさせるイブラヒムだが、彼ですら、共感可能な感情をもった人間として描かれている。
ちょっと本の内容とそれるが、現在進行中のコロナ騒ぎをみていると、但馬樹の目的である「啓蒙」は、原発事故についてはたまたま可能だったという思いを新たにした。線量の強さという明確な指標で、確率的な被害の度合いととるべき対策が決められたからだ。今のコロナについてはあの種の「正解」は存在しない。それなのに、SNS等では全能感によいしれて、さも正解であるかのように断言している人たちが多くいる。これも原発事故がもたらした負の側面だ。「啓蒙」と逆に、あらゆる知は限定された範囲でしか通用しないという、無知の知の自覚が必要だと思う。
本名の内容に戻ると、本の最後のそしておそらく最期の小さな望みが、感動的だった。彼女も東京を愛していたのだ。
リアルタイムに読めたらおもしろかったが、3月10日に入手して8日間かかってしまった。
★★