ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』
『サピエンス全史』は現生人類の過去についての本だったが、こちらは未来がテーマだ。最初のうち、同じ材料の残り物を使っているように感じたが、できあがった料理はまったく別物だった。
現生人類ホモ・サピエンスがほかの人類や動物たちに打ち勝って覇権を確立したのは、多数で協力することができたからで、それは神や国家、会社など現実には存在しない架空のものを共有できる能力によるところが大きい、というところまでは『サピエンス全史』の復習。科学の台頭により、従来の宗教は弱体化しつつあるが、かわりに生まれたのが、人間至上主義という新しい宗教だ。今まで神が占めていた位置を人間が占めるようになり信仰の対象となった。主流は自由主義という個人の内面を信仰の対象とする考え方で、ほかに人間の集団と平等に重きを置く共産主義や、ナチスを極端な例とするような、もっと競争や闘争を激化させて一部の人間の高めていこうと進化論的な人間至上主義が立ちはだかったが、自由主義が最終的に勝ち残った。
次に、この自由主義の基盤が失われつつあることが語られる。社会的に、個人が重要視されたのは戦争は工業制裁で自発的に働く人手が必要とされたからだが、現在機械化や情報化でそのニーズは失われつつある。また、生命科学の見地からも個人は決して分割できない神聖なものではなく、複数のアクターの寄せ集めに過ぎないことが明らかになりつつある。
具体的には一部の富裕層が半永久的な生命や卓越したパワーを独占するなどの未来が想定される。そこではもはや人間至上主義は無効で、人間や動物の意識をむしろ邪魔なものと考え生命をアルゴリズムととらえる、データ至上主義という新しい宗教が覇権を握るかもしれない。
『サピエンス全史』では暗いところに光があてられて頭がすっきりした感じがしたが、こちらは自由主義の凋落という現在進行形の事象を横目で見ていることもあり、描かれる未来像に暗澹たる気持ちになった。人間至上主義や自由主義が信仰に過ぎないということはわかっていたのだが、それでも歴史をくぐりぬけてこれまでにない有用性と普遍性をもち、音楽や文学など人間が生み出す文化はかけがえがないと感じていた。でも、それも単なる信仰だという事実を突きつけられたのだ。
本書の中にも書かれているように、ここに描かれている未来は避けられないものではない。むしろ、避けるために書かれたのが本書だと言える。しかし、本書が書かれてから3年後の現在起きようとしていることは、人々はSNSのせいで共通した神話を持てなくなり、断片化し、パフォーマンスがさがり、社会は停滞する。進化論的な人間至上主義があちこちで跋扈し、環境は悪化し、戦争の危機が高まっている。この流れの行き先を考えると、ホモ・デウス的な未来がむしろユートピアだったということになりそうで、読んでいるときよりもさらに暗澹たる気持ちになった。
★★★