グレッグ・イーガン(山岸真訳)『ひとりっ子』

ひとりっ子

日本独自編集の短編集の第3集。オールタイムの作品から選んでいるので、インパクトが小さい作品か、科学的に難解な作品が多くなってきているのは仕方ないところだろう。

『行動原理』、『真心』ではナノマシンを使って精神の特性を改変する。『ルミナス』は普遍的だと思われている数論にもし成り立たない領域があるとしたら(たとえば1000+2=1004だったりする)、という数学的フィクション。『決断者』では「自由意志」というかぼくらが「自由意志」だと思いこんでいるものを可視化する。『ふたりの距離』は、意識がデジタル化された時代、愛し合う二人は互いに究極まで理解し合おうとする。

『オラクル』はAIという概念を生み出したアラン・チューリングと、ナルニア国物語を書きながらキリスト教信仰の道を求道し続けたC.S.ルイスという対極的な二人をモデルに、ありえたはずの別の世界の出来事が物語られる。『ひとりっ子』では、ある科学者夫妻がAIの娘を育てようとする。彼女にはほかのAI(アダイと呼ばれる)と根本的に異なるある特性があった。

この二つの物語はMWI(多世界解釈)という共通の世界観のもとに書かれている。平行して重なり合った世界がいくつも存在して、人や物はどの世界にも同時に存在しているが、絶えず分岐してそれぞれ異なる選択や結果を生み出しているという世界像だ。つまり、ある世界で幸福な生活を送っていても、別な世界では不幸のどん底かもしれない。これらの物語では、そういう状態が不完全なものとみなされて、究極のひとつの選択を可能することが目的とされている。それは、ある意味宗教的な解脱といえるかもしれない。『オラクル』では、ルイスをモデルにした男の「解脱」が描かれている。とても、深い味わいのあるエンディングだ。もちろん、本書のベスト。

『ルミナス』もおもしろい。このテーマはウィトゲンシュタインの提起した規則問題の一例「数列問題」(数列2,4,6,…,1000の次にくる数を1004という生徒に対して教師は彼の誤りを論理的に説明することができない)につながるような気がする。いわば、教師の論理と生徒の論理の共存といったところだろうか。