保坂和志『カンバセイション・ピース』

カンバセイション・ピース

世田谷の小田急線沿い、おそらく成城か喜多見の木造二階建ての古い日本家屋が舞台。伯父、伯母が亡くなり、空き家になっていたこの家に小説家である語り手の「私」と妻、猫三匹、妻の姪が住むことになり、さらに「私」の後輩の会社(といっても社長、社員あわせて三人)も間借りする。

保坂和志の他の作品と同様に彼らの会話のポリフォニーが描かれるが、今回はそれより主人公の内面の声が前面で響いていた。この家にまつわる記憶、四年前の飼い猫の死、そこから客観と主観、生と死、宇宙、神に関する哲学的な思考へとひろがったり、また狭まったりを繰り返す。その思考は内面からというより家に触発されて生まれている。そういう意味でほんとうの語り手はこの家自身かもしれない。

科学に対する文句のつけ方には同意できないところがあるのだけど、終盤「私」が風邪をひいて寝ているときの風景や人の声の描写はただただすばらしく、最後の「その歌はちゃんと聞こえていただろう」という一文には大きく首を振って頷かざるを得なかった。