ポール・ヴァレリー(清水徹訳)『ムッシュー・テスト』

ムッシュー・テスト

すべてのページをめくったが果たして読んだといってよいかどうかわからない。睡眠導入剤として効果覿面なことは保証できる。

ムッシュー・テストとは作者のポール・ヴァレリーが自分自身の性向を極端に押し進めることによって生み出した架空の人物だ。彼は自分の内面をとことんまで追求する。ただの内省ではなく、心に浮かぶ観念を自由に選ぶことにより自分自身を支配することができる。彼は、そうして自分の中で築き上げたものを外に向けて公表することにはまったく興味を示さない。世に認めてもらうことを目的に嫉妬や競争心にかられて書くことはくだらないし、言葉にした瞬間に思考は変質してしまうからだ。ムッシュー・テストを実地でいくようにヴァレリーは20年もの間文学から遠ざかり沈黙を貫いた。

加藤典洋『日本の無思想』ではこのムッシュー・テスト的な知識人のあり方を、近代の私性の領域にとじこもって公共性の意味を見失ったものであり、ナチス台頭という野蛮の前では完全に無力だったと批判している。でもそうとだけ言い切ってしまえない何かがあるのは確かなところだが、(ちゃんと読めていない)ぼくはムッシュー・テストのように沈黙しておこう。

少なくとも目を通したという証拠に気に入った言葉をいくつか引用する。

  • きみはきみが「自己」と呼ぶさまざまな秘密に満ちている。きみは、きみにある未知なるものの声だ。
  • わたしは世界のほうへは向いていない。わたしは顔を壁のほうに向けている。壁の表面の何ひとつとして、わたしに未知なものはない。
  • 苦痛はきわめて音楽的なもので、苦痛のことをほとんど音楽の語彙で語れる。