『小指の思い出』

小指の思い出

30年前の野田秀樹の名作戯曲をマームとジムシーの藤田貴大が演出。

今回はかなり苦言が多くなってしまう。

まず、ポストパフォーマンストークでゲストの篠山紀信さんもいっていたがマイクを通した役者の声が著しく聞き取りずらかった。これは、この舞台の「難解さ」に一役買っていたと思う。あまりにわからない部分が多かったので、逆に気になってしまって終演後に戯曲を買い求めた。一気に読んでいろいろなことがわかった。確かに元の戯曲も難解なのは間違いない。主役は舞台上の特定の人物ではなく言葉と概念だ。それらが洒落や連想という形で自在に展開して物語を練り上げてゆく。オリジナルの舞台をみたことはないけど、ト書きから想像するに野田秀樹自身の演出ならちゃんとカタルシスが味わえて難解という印象を与えなかったのではないか。

今回、一番大きいのは前述した声の聞き取りづらさだけど、それ以外にも、主要な登場人物である粕羽聖子/八月というオリジナルでは野田秀樹が演じた女性と少年の二役のキャラクターを青柳いづみさんが着替えずに女性の姿のまま演じてしまったことがわからなさに拍車をかけていたと思う。そもそも二役だということがわからなかった。さらにオリジナルにはない趣向でこの役にもう一人飴屋法水さんを割り当てて、二人二役という不思議な形にしたのも観客の理解に混乱をうんでいた。

この戯曲に限らないけど野田作品は合間の合間の笑いで観客の関心をつなぎとめて、チャンチャンバラバラのスペクタルと言葉のマジックで一気に感動をひっさらうという定石だけど、藤田演出は、笑いは意図的に抑制しているし、スペクタルはないし、舞台装置や演出も簡素でおとなしめだ。けっこう集中力が途切れた。

マームと同じくこの作品でもリフレインが多用されていて、あるシーンが何度も繰り返されたりとか、重要な感動的なセリフが事前に何度もでてくる。言葉の力が弱くなっている現代においてはひょっとするとその方が効果的なのかもしれないが、それだと感動じゃなくて感傷になってしまう。最後の処刑台の聖子のセリフもめそめそしすぎていた。役者が笑うと笑えなくなるのと同じで、泣いている役者をみても感動はできないのだ。

いや、もちろん、オリジナルの野田秀樹演出にない新機軸をねらったことは評価できる。舞台で自由に動き回っているかのようだった飴屋法水さんの存在感は半端なかった。

以前一度だけマームをみたときにも感じたけど、ぼくは繰り返されると退屈になってしらけてしまう特異体質なので、リフレインを多用した藤田演出は本質的にあわない気がしている。音楽の趣味も若干あわなさを感じる。もっとスパイシーな音楽や舞台が好きだ。

ゲストで篠山紀信さんが登場したポストパフォーマンストークはおもしろかった。マームのファンだということに驚いた。

作:野田秀樹、演出:藤田貴大/東京芸術劇場プレイハウス/S席5500円/2014-10-04 19:00/★

出演:勝地涼、飴屋法水、青柳いづみ、山崎ルキノ、川崎ゆり子。伊東茄那、小泉まき、石井亮介、斎藤章子、中島広隆、宮崎吐夢、山内健司、山中崇、松重豊、(音楽:青葉市子、Kan Sano、山本達久)