鳥公園『緑子の部屋』

緑子の部屋

初3311。かつて学校の教室だった凝縮された空間での観劇。隣の「教室」でパーティみたいなことやっているからどうなることかと思ったが、開演と同時に撤収してくれた。

まず登場人物の一人が画集のあるページを開いて、そこにある絵がなぜ好きかを説明するシーンからはじまる。左隅の消失点から右に長い黄色い塀がのびていて、右端に走っていてぶれている若い女がいて、奥に小さく立ちすくんでいる女が描かれている。よく見るとその女は走っている女性でなく、正面のこちらをみているのだ。それが緑子らしいと言う。

のっけからつかまれる。観客に語りかけるスタイルと画集を使うおしゃれさがちょっとチェルフィッチュっぽいと思う。

本編は6場にわかれている。最初の場は先日亡くなったという(死因は不明)緑子の部屋に、その元同棲相手の大熊と中高の同級生だった井尾(女性)が招かれているシーン。呼んだのは緑子の兄。結局出されなかった年賀状から二人をみつけて連絡したという。最初はよくある(でもきらいじゃない)追憶の劇かと思った。

2場で死んだと思っていた緑子が生き返って(井尾を演じていた武井さんが演じている)あれっと思うが、それは回想シーン。緑子は大熊に兄が昔実家の餃子工場で起こした事故の話をする。その話の中で兄は障害者で暴君のとんでもない人間ということになっている。

3場でまたがらっと変わり、緑子の学校時代。緑子はそこにはいなくて、井尾、そして大熊も兄(佐竹という名前で登場する)も級友(女性)として登場する。唐突に語られるクマの肝に関するグロテスクな話。そして彼らが抱えるナショナルアイデンティティの問題。

4場では井尾も大熊も餃子工場の労働者だ。物語の流れは続いていて、1場で聞き損ねた、大熊が緑子と別れた理由が餃子をつくりながらの雑談として披露される。その際、大熊が片足をあげたりする振りをつけていて、これまたチェルフィッチュっぽい。それを離れた場所で見守る「兄」は今度は中国人労働者の楊さんの役柄になっている。

5場では大熊の同棲相手は井尾だ。というこれから暮らしはじめるところ。井尾の引越を手伝った大熊の後輩佐竹を交えて引越の打ち上げのシーン。

ラジオ体操の音楽に合わせての幕間的な井尾の振り付きポエトリーリーディング。これもチェルフィッチュ的で、全体の流れから浮いているが、単独にここだけで作品としてみて結構おもしろかった。(ちょっと記憶が混濁しているが、これは4場と5場の間だったかもしれない)

6場では、井尾が大熊におそらく朝みた夢について語っている。屋上を半裸でぐるぐる走り回り飛び出して墜落してしまう友達の夢。突然、大熊は井尾のことを「緑子」と呼ぶ。たじろぐ井尾……。

そして最後また1枚の絵、町を背景にした公園のような場所で別れ道のうち一本を選んで歩きさろうとする女の後ろで見つめる女。それが「わたし」ですという言葉とともに幕は閉じる。

こうして要点を全部かいておかないと頭のなかが整理できない。不可解と言えば不可解だが、その不可解さに否応なく惹きつけられてしまった。作・演出の西尾佳織さんは乞局(一度みたころあるが露悪的なところがちょっと苦手な感じだったが、解散してしまったらしい)という劇団に所属していたということで、随所に挿入されるグロテスクさはそこから引き継いだんだろう。他方、登場人物のアイデンティティが揺らぐ感じは独特で新しさを感じる。チェルフィッチュ的な(と感じられる)要素をとりいれて、今後どうなっていくかが楽しみだ。注目。

作・演出:西尾佳織/3331 Arts Chiyoda B104/自由席2800円/2014-03-29 19:00/★★

出演:武井翔子、浅井浩介、鳥島明