こつこつプロジェクト『夜の道づれ』

夜の道づれ

三好十郎が敗戦から5年後の1950年に書いた戯曲作品である。戯曲の形式をとっているものの、必ずしも舞台上演を前提としたものではなく、実際に上演された記録も残っていないようだ。夜道を歩きながら二人の男性が対話を交わす構成であるため、演劇としての上演が難しかったのかもしれない。

物語は、新宿で酒を飲んだ劇作家・御橋次郎が、終電を逃して自宅のある烏山まで歩いて帰る決意をする場面から始まる。道中、彼にいつの間にか同行者が現れる。スーツに下駄履きという風変わりな姿の会社員・熊丸で、特に目的もなく家とは逆方向の甲府を目指して歩いているという。やがて彼の行動の理由が明らかになる。熊丸は仕事から帰宅後、突然「死」が実体のあるもののように迫ってくる感覚に襲われ、家族に対する強い殺意を感じて恐怖に駆られ、家を飛び出したというのだ。

御橋は熊丸との対話を通じて、その殺意の背景を探り、彼の内面に迫ろうとする。戦争体験、夫婦関係、社会的圧力、精神の混乱、宗教的動揺――御橋はあらゆる観点から熊丸の衝動を理解しようと試みるが、どれも核心には届かない。御橋は古典的なヒューマニストであり、理性と人間性への信頼を持つが、熊丸はそれに対して懐疑的な、近代的な思考を持っている。無条件の自己肯定に立脚する御橋と、根拠のない自己破壊衝動に囚われる熊丸。方向は正反対ながら、いずれも根底に「理由のなさ」を抱えている点で共通している。

最終的に熊丸は、御橋の誠実さに心を動かされ、持っていた包丁を置いて去っていく。

熊丸の感じた殺意は、彼が思うほど特異なものではないかもしれない。父親による家族への突発的な暴力や、それを回避しようとする男の失踪譚は、映画や文学の中でも繰り返し描かれてきたテーマである。突発的な自己破壊衝動が、自己の延長として見なされる家族に向かうという構図も、一定の理解が可能なものとして受け止められる。

本作は「こつこつプロジェクト」の一環として取り上げられた。このプロジェクトは、小川芸術監督の「一か月の通常稽古ではできないことに挑戦し、試し、壊し、また作る」ことを目的としており、1年を通じて作品を育てていく試みである。この作品は中でも異例で、足かけ4年にわたって取り組まれており、通常はクローズドな試演にとどまるところ、今回は劇場で公開されるに至った。もしこのプロジェクトがなければ、この戯曲が上演される機会はなかったかもしれない。

演出にもその長い時間が反映されており、「歩く」という行為の再現方法や、単調にならないための距離感の変化など、細部まで丁寧に考え抜かれていた。出会えてよかったと思える作品だった。

なお、この戯曲は青空文庫で公開されている。

作:三好十郎、演出:柳沼昭憲/新国立劇場小劇場/指定席2750円/2025-04-19 17:30/★★★

出演:石橋徹郎、金子岳憲、林田航平、峰一作、滝沢花野