H.D.ソロー(飯田実訳)『森の生活』

森の生活〈上〉ウォールデン森の生活〈下〉ウォールデン

ソローは自分の属する社会が仮想現実=マトリックスにすぎないということに気がついてしまったのだ。ほとんどの人はその現実がすべてだと思い込んで、「静かな絶望の生活」を送っているけど、実はほんとうの世界はどこかほかのところにあるのではないか。ソローはそれを確かめるために、ウォールデン湖のほとり、森の中に移り住んだ(人里離れたところではなく村のすぐそばではあったのだが)。そこでの生活や美しくおおらかな自然とのふれあいが理系的な描写でつづられる。池澤夏樹もそうだが理系出身の人の描写はどこか透明感があって好きだ。

森の中に住むなどということは、ソローの時代(19世紀中ごろ)には世界はまだまだ広く、森がすぐそばにあり、ソロー自身にも、それが真実だと思える理想、自然と共生していく技術、力、知恵があったからこそできたことではないだろうか。

今のぼくたちは、どこにも行き場のない狭い世界の中で、森ははるか遠く、理想もなければ、自然を生き抜く力もなく、まわりの世界のうそ臭さに絶望しながらも、その中で生きてゆくしかない。ひきこもりになっても自分だけの暗い部屋という別のマトリックスの中に沈殿するだけだ。

ソローはこの作品を同時代の人々を鼓舞するために書いたという。その中にある勇気だけは今でも力を失っていないと思う。出口を見つけなければ。

★★★★