東浩紀『郵便的不安たち♯』

郵便的不安たち#

文芸、サブカルチャー、それにデリダ、ジジェク、柄谷行人など思想家に対する批評、その「批評」というものをとりまく現状分析、講演、エッセイなどバラエティに富んだ、一冊まるごと東浩紀的な本。

内容が多岐に渡っているので統一的な感想をあげるのは難しいのだが、すべての文章に思考の強度が感じられる。つまり正しい思考なんていうものはないけど、強い思考―あらかじめ想定される反論を想定してそれらに耐えられるように鍛え上げられた思考というのはあると思った。また、ペダンティックな単語を使わないので、読み手の思考の流れをさえぎらずとても読みやすい(最初期に書かれた「ソルジェニーツイン試論」だけは読みにくかった)。

いくつか印象に残った指摘をあげる。

  • 文芸批評はアカデミズムとジャーナリズムにはげしく二極化している。アカデッミクな批評には社会的緊張がなく、ジャーナリスティックな批評には知的緊張がない。この二つは対立するのではなく相補的な関係にある。
  • 言葉や文章には「コンスタティブ」(事実確認的)な働きと、「パフォーマティブ」(行為遂行的)な働きがあって、ひとつの言葉や文章がその両方を働きを同時にしている。
  • 時枝誠記という戦前活躍した国語学者によると、日本語の構造は「詞」と「辞」にわかれる。「詞」というのは動詞や名詞などでひとまとまりの意味を表現するけど、「辞」は「てにをは」や敬語のように話し手の主観的感覚をあらわしている。つまり日本語というのは客観的事態を表現していても、つねにそこに主観的関係が含まれてしまう言語である。

★★