ガブリエル・ガルシア=マルケス(鼓直訳)『族長の秋』
ある独裁者の長い後半生を描いた作品。彼はこの作品中で名前をもたず「大統領」とのみ呼ばれる。荒れ果てた大統領府で彼の死体をみつける部分からはじまる。その時点で大統領の年齢はまちがいなく100歳は越しており、200歳も越えているかもしれなかった。そこからいったん時代を大きく遡り時代をいったりきたりしつつもおおむね時系列順に物語は語られる。そもそものはじまりからして彼はすでに老人だった。改行なくページにびっしり文字がつめられて、「われわれ」、「わし」などさまざまな人々の視点や語りを絶えず移り変わる。でもその中心には必ず大統領がいる。大統領は側近が彼の意を慮った場合も含めてさまざまな暗殺や虐殺やその他破廉恥な行為に手を染める。子供たちを使って宝くじの不正を企て、発覚をおそれてその子供たちを幽閉し、あげくのはてに殺してしまったりとか、長年の忠実な部下にして友人の反逆の徴をいち早く見極めて、文字通り料理してしまうとか、視察に出かけて人妻を見初めて陵辱しつつその間に夫を部下が殺していたりなど枚挙に暇がない。それでも彼を憎めないのは彼が大胆でユーモラスで臆病で、母を愛し、妻と子供に気を配り、つまりとても人間的に描かれているからだ。彼の周囲の人物も興味深い。彼の母親で国家元首の母になっても小鳥に色を塗る子供だましの手仕事をやめようとしないベンディシオン・アルバラド、彼とうりふたつで影武者の役割をつとめたパトリシオ・アラゴネス、彼が純真な恋情を抱く、美人コンテストの優勝者で日蝕のさなか突然姿を消すマヌエラ・サンチェス、大統領に見初められ修道院から誘拐されて連れてこられ正妻になったレティシア・ナサレノ、大統領の敵をさがす仕事を請け負いながら無実の人間を拷問にかけ殺戮を繰り返すサエンス=デ=ラ=バラ。みんな大統領よりずっと前に死んでしまった。ここには書かないが特にレティシアと大統領唯一の嫡子(といってもそれ以前に大勢の愛妾を囲い5000人の庶子がいるといわれている)の死に方がひどい。そんなことがあっても長い年月の間に彼の記憶はすっかり薄れてしまう。ひとりぼっちになり思い出さえも失って老いの苦しみとともに荒れ果てた大統領府をさまよい歩く晩年の姿が描かれ、ようやく遅きに過ぎた死がやってくる……。ちょっと長くなるが物語の最後の「われわれ」の語りを引用しよう。「結局、喜劇的な専制君主は、どちら側が人生の裏であり、表であるのか、ついに知ることはなかったのだ。われわれが決してみたされることのない情熱で愛していた生を、閣下は想像してみることさえしなかった。われわれは充分に心得ていることだけど、生はつかのまのほろ苦いものだが、しかしほかに生がないということを知るのが恐ろしかったからだ。(中略)彼が死んだというめでたいニュースを伝え聞いて表へ飛び出し、喜びの歌を熱狂的な群衆の声を聞かずにである。解放を祝う音楽や、にぎやかな爆竹の音や、楽しげな鐘の音などが、永遠と呼ばれる無窮の時間がやっと終わったという吉報を世界中に伝えたが、それも聞かずにである。」