チャールズ・ユウ(円城塔訳)『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』
円城塔が訳すんだからふつうのSFではあるまいと思ったとおり、全然ふつうじゃなかった。
作者チャールズ・ユウ自身が主人公。彼はタイムマシンの修理をして生計をたてている。タイムマシンの研究者だった父親は何年も前に失踪して行方不明、母親は介護施設で日曜日の夕食どきの一時間のループの中で暮らしている。彼自身はふだん、平穏な時空の片隅で、非実在犬エドと愛機のタイムマシンTM-31付属のAIタミーを友にしてすごしている。彼らがいるのはMU(Minor Universe)31(ちなみにこの31という共通の数字はこの物語の中での彼の年齢からきていると思われる)という物理法則が93%しかインストールされていない小さな宇宙で、おそらくぼくらの宇宙とはパラレルな宇宙だ。だから単純な原理(人間の意識による)で動くタイムマシンが発明されているんだろう。
エピローグ的な文章などによると、現実のチャールズ・ユウの父と母も移民(台湾出身のようだ)で彼がこどもの時に離婚している。父親が技術者なのも共通だが、もちろんタイムマシンを発明しようとはしてないし、チャールズには弟がいるという違いがある(MU31では彼は一人っ子)。
つまり、これは別の宇宙における作者自身とその家族の歴史を描いた私小説なのだった。冒険活劇的な場面はほとんどないし、おかしなキャラクターもでてこない。主人公はネガティブな精神的ひきこもりで過去をふり返ってばかりだ。タイムマシンは、いわば、そういう過去をふり返ったり時の流れから身をひくような態度の比喩にすぎない。
とはいえ、ちゃんとタイムパラドックスも登場する。たいていのタイムトラヴェルものがそうであるように、この作品も基本的に一度おきたことは改編できないという時間モデルをとっている。突然現れた未来の自分を誤って銃で撃ってしまうというシチュエーション。とっさにタイムマシンに乗り込むが、やがて過去の自分に撃たれる瞬間に向かわなくてはいけない。この状況から脱する手がかりは未来の自分から鍵だといわれて手渡された本……。
基調となっているのは穏やかな悲しみ。個人的にはなじみのある心地いい感情だが、SFにはまったく似合わない。それをあえて組み合わせた希有な作品だった。