ポール・オースター(柴田元幸訳)『写字室の旅』
ポール・オースター、柴田元幸のコンビは翻訳という感じがしない。もとから日本語で書かれたみたいにすいすい読み進めてしまう。
老人がひとり部屋の中で深い物思いにふけっている。彼は自分がなぜそこにいるのか覚えていない。自分が何者なのか、名前すら思い出せない。何人かの人々が彼を訪ねてくる。彼らは自分がかつて老人によって任務を負わされたという。老人は彼らを明確には覚えてないが、胸の奥に罪悪感を感じる。机の上には古びた写真と未完のタイプ原稿。
老人は訪ねてきた人々や彼らからきいた名前をノートにメモする。どこかでみたことのある名前だ。ネタバレをしてしまうとオースターの過去の作品の登場人物なわけだが、そのことは作中では明示的に語られないので、オースター作品になじみがない人にとっては最後まで完全な謎のまま物語が進行する。ぼくも一応オースターの愛読者のはしくれだが、真ん中くらいで気がついた。それで何かわかったような気になってしまうが、ある構造がみえただけで、考えてみると、謎は謎のままなのである。わかった気になった分、何かを失っているのかもしれない。まあ、しかし古くからのファンに向けてのプレゼントにはちがいない。
老人が読む原稿の中の物語もミステリアスで素敵だった。これ単独でも長編小説に仕上げられそうだが、これまでのオースター作品の要素を寄せ集めたような感じもする。
オースターの過去作品を読み返したくなった。まんまと術中にはまっているのかもしれない。