平田オリザ『演技と演出』

演技と演出 (講談社現代新書)

新刊の『わかりあえないことから』を買おうと思って書店にいったのだけどこちらを選んでしまった。というのも映画『演劇1』をみて、平田オリザの一見そっけない演出スタイルのどこから舞台の上のリアリティがうまれるのか謎だったのだ。

イメージを共有する難しさ。演出家がもっているイメージを観客に伝えるにはまず演じる俳優がそれを共有しなくてはいけない。まず共有しやすいイメージからはじめて共有しにくいイメージ(=観客がいちばんみたいもの)にもっていかなくてはいけない。

台詞をいうことに集中するより複雑な動作を組み合わせるなどして意識を分散させた方が自然な演技ができ、幅が広がる。「ニュートラルな身体」を手に入れること。

コンテキストは人それぞれ。「旅行ですか?」という簡単な台詞ひとつとってみても人によっては自分のコンテキストにない台詞だったりして、とてもいいにくいことがある。自分のコンテキストに近づけるため「イメージの補助線」をひく必要がある。

観客の想像力をたくみに誘導するのがいい芝居。想像力を広げては閉じてを繰り返させる。

戯曲は「仮説」であり、演出家が主導してみんなで実験をくりかえしそれを検証するのが演劇という活動である。

そして終章、既存の演出の方法論について。スタニスラフスキーやブレヒトを紹介しつつ、教条的、カルト的な方法論について警鐘を鳴らしている。『ガラスの仮面』からの引用がおもしろかった。

というように、最初の疑問はほぼ解消されて、ふつうの小劇場系の演劇は演技がおおげさで気恥ずかしくなってしまうのに、なぜ青年団ではそういうことがないのかも、わかった気がした。

最後「演劇はやはり、人生に少しだけ似ています。演技をするという行為は、生きるという行為と、ほんの少しだけ似ています」という言葉でしめられるのだけど、まさに、演劇というより人生そのものにもあてはまるよなと思いながら、読み進めていたのだった。人間は人間のまねをして人間になっていくので、まちがった人間からまちがったやり方をまねしてしまっていることもあると思うのだ。もっと自分に意識的になることで、これからの人生をもっと豊かにいきることも不可能じゃないんじゃないかと夢想したりした。

★★