リディア・デイヴィス(岸本佐知子訳)『ほとんど記憶のない女』

ほとんど記憶のない女 (白水Uブックス)

200ページくらいに51編もの作品が収録された短編集。どれも幻想的で寓話みたいだけど、題材は自分自身の経験や思考からとった作品が多い気がする。ある意味では私小説。ただし、この「私」が一筋縄ではいかない。「彼女」と三人称になっていることもあるし、物語の主人公とそれを書こうとする作家に分裂していることもある。

どれも異色なので、逆にふつうな作品のほうが変わって感じられる。30ページくらいで一番長い『ロイストン卿の旅』という作品。19世紀はじめにシベリアや中央アジアを旅した貴族の旅行記だ。実在した人物の書簡などから再構成した作品らしい。

こうやって書いても、どういうタイプかまったく想像つかないと思う。雰囲気がわかるように、表題作から冒頭の部分だけ引用してみよう。

とても鋭い知性の持ち主だが、ほとんど記憶のない女がいた。日々を暮らしていくのに必要なだけは覚えていた。仕事をするのに必要なだけのことも覚えていて、しかもよく働いた。よい仕事をして、そのことで報酬を得、暮らしていくのに必要なだけの金を稼いだが、自分の仕事のことは何も覚えていなかったので、人から質問されても、-—じっさい、彼女の仕事は興味深かったので人はよく質問をした-—答えることができなかった。

こんな感じだ。

訳者による解説を読んで、若い頃、ポール・オースターと一時パートナーだったという話にびっくり。『サン・マルタン』という作品にそのときのことが書かれている。あと、『グレン・グールド』という作品で、グレン・グールドがかなり醜い女性ポップ・シンガーのファンだったと書いてあるが、誰のことだろう?