レイモンド・チャンドラー(村上春樹訳)『リトル・シスター』
チャンドラーの長編小説としては5作目、村上春樹の訳業としては3作目。旧訳では『かわいい女』というよくわからないタイトルがついていたが、今回原題に即したタイトルにあらためている。直訳すると『妹』になってしまうので、カタカナタイトルもしかたないだろう。
ほぼ巻末の村上春樹によるあとがきに言い尽くされているのでその繰り返しになってしまうが、ストーリーには瑕疵というか破綻がみられる。でも細部の語り口の素晴らしさがそれを補ってあまりある。
まず瑕疵からいくと、15章でマーロウがいきなりリーラという名前を口に出すシーンにはぼくも惑わされて、冒頭からもう一度拾い読みをしてしまった。あとがきでおかしいと指摘されていたのでぼくが見落としたのでなく、もとから書かれていなかったことがわかったが、そうでなかったらずっともやもやしたままだった。一応探偵小説というジャンルに入る作品なので、いくつかの関連する殺人事件があって最後には真犯人が明らかになるのだが、わかってもいまひとつ釈然としない。マーロウも今回は探偵という役割を半ば放棄しているかのようで、何をしていいかよくわからないようだ。
その分、奇跡的といっていいくらい美しく語られたエピソードがいくつかある。たとえば13章、メイヴィス・ウェルドの部屋から事務所に戻らずに夕方の街に車を走らせるマーロウ。「マーロウ、今夜のお前はどうかしているぞ」と自分を揶揄しながら延々と詩的な毒づきをくりかえす。あと、30〜31章、警察の取調室のシーン。モーツァルトを弾く夜勤の警察官(の幽霊?)、そしてオレンジの女王と壁の声。ラストの「誰かの夢が失われたようだね」というセリフもたまらない。
ストーリーが邪魔をしないから、かえって、何度も読み返すことができる作品かもしれない。