稲葉振一郎『社会学入門―"多元化する時代"をどう捉えるか』
<img src=“http://i1.wp.com/ecx.images-amazon.com/images/I/4166-xYEQqL._SL160_.jpg?w=660" alt=“社会学入門―“多元化する時代"をどう捉えるか (NHKブックス)” class=“alignleft” style=“float: left; margin: 0 20px 20px 0;” data-recalc-dims=“1”/>
社会学といえば、学生時代ほとんど出席せずに、試験で、タイムパラドックスが存在しないタイムトラヴェルの原理について書けとかいう問題に、解答を書いて、単位をもらったことをよく覚えているが、ちゃんと勉強しておけばよかったなと後悔しきりだ。
本書は、大学の一年生向きに社会学というのはどういう学問であるかを解説する教科書として執筆されたものだ。個々の研究を紹介するんじゃなくて、全体としての枠組みがどうなっているのかを概観している。著者は、硬軟取り混ぜてさまざまな分野の本を書いているので、今まで専門がなにかよくわかっていなかった稲葉振一郎さん。本書の奥付によれば社会倫理学がご専門のようで、本書のテーマ社会学の周辺がご専門のようだ。
社会学も科学である以上理論が不可欠だが、社会学者全員に共有されるような基礎理論は存在しない。では、まったく共通了解がないかというとそんなことはなく、「方法的全体主義」と呼ばれる、社会でおきる現象は個人の行動の積み上げとして理解することはできず、社会全体としてとらえる必要があるという考え方があり、具体的に研究の対象とされるのは、社会全体で共有される「意味」とか「ルール」などの「形式」、「ソフトウェア」である。というところまでが第一部。
第二部では、社会学の成立を年代順にたどる。ホッブズやロックの社会契約論からはじまって、ヒュームのコンヴェンションなどを経由して、社会学の直接的な始祖デュルケムとウェーバーまで。ここでのキーワードは「モダニズム」だ。つまり、「近代」という産業革命、市民革命という二つの革命とともにはじまり、現代まで続くくくりの中で、その後半から「近代とは何か」という自らを問い直すような潮流が、芸術、建築、学問などの分野に同時発生的におこり、それが「モダニズム」と呼ばれている。社会学というのはまさにその「モダニズム」の申し子であり、「近代とは何か」を問う学問だという。
ここでおもしろいと思ったのが、「近代」への対応の仕方で分類される自由主義、ロマン主義、社会主義という3つの立場の話。自由主義は「近代化」を留保なく歓迎し、残り二つは否定的。ただし、ロマン主義は近代化で失われたものの価値を称揚しながら個人の美的な理想の中に避難しようとするが、社会主義は「近代化」の成果を享受しながらもその副作用を克服して社会的連帯を再建しようという立場で、個人と社会どちらを重視するかでは真逆になっている。ぼくは、いわゆるおたくの人たちが好きなものは同様におもしろいと思いつつ、それを受容する感性にいまひとつ理解できないところがあったのだが、「ロマン主義」という言葉がヒントになりそうな気がしている。反近代主義と個人主義は両立するのだ。あと、著者や書名は忘れてしまったが、別の本で、リベラニズム(自由主義)、リバタリアニズム、コミュニタリアニズムという3分類を読んだことがある。これは政治的立場に関する話で、自由主義だけ共通でほかの2つが入れ替わっているが、そのあたりの対応を考えてみるのもおもしろそうだ。
最後、第三部は第一部、第二部をふまえて、社会学が成立して以降の結局一般理論が成立しなかったという流れの確認。そして現状の社会学の立ち位置の総括。最終的な社会学の定義としては、「社会的に共有される意味・形式の可変性・多様性についての学問」。経済学、政治学、人類学等の周辺分野と境界がありまいになりつつあるが、基礎理論をもたないという点で共通する、自然科学の分野における疫学がそうであるように、他分野を知見を動員して、社会的な問題に対応する折衷科学になるという道がある。でも未来のことはわからない。それが一般理論が成立しなかったということの最大の教訓。
初学者向けということでわかりやすく書かれていながら、独自の示唆に富んでいて、おもしろかった。