ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソン(鬼澤忍訳)『国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源』ebook

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訳書は上下巻に分冊された大部だが、伝えている主張はこの上なくシンプルだ。ほとんどの紙幅は実例を挙げての検証に費やされている。その主張は、繁栄する国家と衰退する国家を分けるのは、地理的要因でも文化でも、知識の有無でもなく、制度である、と一文で表現できてしまう。

制度といってもいろいろだが、ここでは政治と経済両方に注目している。政治と経済の制度が包摂的(inclusive; 訳では「包括的」という語があてられてるが「包摂的」の方が適切だと思う)であれば国家は繁栄するし、収奪的(extracrive)であれば衰退する。包摂的な制度は政治面は中央集権的な民主主義で経済面は開かれた市場を採用している。収奪制は一部のエリートが他の人から財産や労働、場合によっては生命を奪うことで成立している。政治制度と経済制度は密接に関連していて、どちらかだけが包摂的でもうひとつが収奪的という状態は長続きしない。世界の歴史を振り返ると収奪の方がデフォルトで一度収奪が始まると永続するメカニズムが、存在する。一部の国家や社会だけが歴史上の転換点を活かして偶然的に包摂的な制度に移行できた。

最初あたりまえなこと言ってるだけのようにも感じられたが、よく考えると今までぼんやり自明だと思っていたことが否定されていることがわかる。ひとつは、マルクス以来の下部構造が上部構造を規定、すなわち政治より経済が優先するというような言説がある。本書では経済と政治は相互作用的で、政治面での中央集権と多元性が不可欠だと説く。もうひとつ、だんだん経済が上向くに従って政治は民主化されていくという楽天的で今となっては牧歌的としかいいようがない言説も当然否定される。収奪は続く。ただし、収奪制における経済成長は長期的には続かない。それは、権力をもつエリート層がイノベーションの芽を摘むのが理由とされている。

本書が出版されたのは2012年なので2024年現在との差分を考えるといろいろ疑問が浮かぶ。

まず、アメリカのトランプや欧州における極右勢力伸長など、包摂的な社会の代表者が収奪的な勢力に脅かされている状況がある。それにはソーシャルメディアに流される誤情報や過激な主張の影響があるとも言われている。それに限らずイノベーションがインターネットとAIに偏りすぎて、それがいい効果を社会に与えているのか疑問符がつく状況だ。これらは包摂的な制度を足元から揺らがせている。

個人的には突然収奪的な勢力が力を持ったのではなく、その前から収奪が始まっていたのだと思う。経営者は法外な収入を要求するようになり、庶民は徐々に貧窮化して、中間層が崩壊している。本書でも独占企業に対して規制をかける政府の役割について触れているが、今は経済的なエリート層がその力を野放図に発揮しまくっている。なぜそうなってしまったのか。いや、実はもともと資本制とはそういうものかもしれない。包摂の模範例として出てくるイギリスは植民地では収奪しまくっていて、いまだに各地域が収奪から脱出できない原因を作っている。それがあったからこそ中では包摂制を進められたのかもしれない。それが冷戦期にも続いたのは共産圏という外部があったからこそという可能性もある。この推察はあまりにも悲観的すぎて自分でも書いてて嫌になる。まあ外部必要説が正しいとして、穏当な外部として「未来」というものが考えられるが、少子高齢化でその未来からのかすめとりもむずかしくなりつつある。

もうひとつは中国という収奪的な国における経済成長について。本書刊行時には宙吊りでその主張の試金石になるだろうという感じだったが、今は微妙な感じだ。政治的には習近平体制になって締め付けが厳しくなったのと、経済的には成長は続いているものの速度がかなり落ちている状況だ。それが一時的なものかどうかはまだわからない。収奪的な国が経済成長できないのはイノベーションが生まれなかったり採用されないからと書いてあるが、グローバリゼーションのもとでは他の国で生まれたイノベーションのいいところどりが可能だし、実際中国はそうやって成長してきている。

本書の執筆者たちは2024年のノーベル経済学賞を受賞している。上で述べたような状況へのアップデートを拝聴したいものだ。

★★★