ザミャーチン(松下隆志訳)『われら』ebook

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完成は1921年なので、ディストピア小説の嚆矢といってよさそうだ。ロシア革命からまだ4年でソビエトの共産主義体制は流動的だし、ナチスは影も形もなかった。そんな時期に現代的というか未来的な全体主義の姿を克明に思い描いたのは先見の明としかいいようがない。

〈単一国〉と呼ばれる壁で外界から隔離された都市国家が舞台。人々はユニファと呼ばれる制服を着てガラス張りで外から丸見えの部屋の中に暮らしている。数時間の自由時間を除いて1日のスケジュールはきっちり管理され、労働や学習を行う。自由時間にあらかじめ登録した異性との間のセックスは許されていて、その間だけは部屋のブラインドをおろすことができる。生殖は国家により管理され、明確には書かれていないがおそらくは人工授精的なことがおこなわれ、生まれた子どもは国家により集中的に養育。教育される。木穂的には物質的に満ち足りていて平和な生活が可能だが、反逆すれば〈恩人〉と呼ばれる超人的な元首の手で公開処刑される。

個人は記号と数字で識別される。主人公はД-503、宇宙船の建造戲士だ。彼らは地球以外の惑星を征服するため「インテグラル」という宇宙船を建造しているのだ。彼はこの国に完全に順応していたが、I-330という謎めいた女性に惹きつけられ、平衡を失っていく。彼女は〈単一国〉に反抗する革命集団のメンバーだったのだ。

ディストピアは大きく無政府状態のものと全体主義的なものの両極端に二分されるが、本書はもちろん後者に分類される。そのなかでは安全な麻薬や環境的な刷り込みによってソフトな統治がおこなわれているハクスリー『すばらしい新世界』(1932年)と、終わりのない戦争下で厳格な監視体制のなかハードに統治されているオーウェル『1984』(1949年)は両極端だが、本作の〈単一国〉の設定はかなり『すばらしい新世界』寄りではあるが両者の間に在るのは間違いない。後続の2作品は本作をベースにそれぞれの方向性を明確、精緻にしたということなのだろう(ハクスリーは本作の存在を知らないと言っているそうだが)。本作で描かれる〈単一国〉は抽象的でいろいろはっきりしないのだ。まあ、それは政権獲得直後のボリシェヴィキの両義性なのかもしれない。サミャーチンはあり得べき全体主義体制を構想したのではなく彼らをダイレクトに風刺するつもりで本作を書いた可能性が髙い。

全体的に物語は単調で、後半にはいると語り手の主人公Д-503の意識が混乱してシュールな詩みたいな描写が増えてくる。結局革命集団が具体的に何を目指していたのかはわからないままだし、それを抑え込もうとする〈単一国〉側の動きも要領を得ず間が抜けている。ラストもちょっと唐突な終わり方だ。

この作品単体でどうというより、類型を創造した記念碑として評価する作品なのかもしれない。

★★