スチュアート・ダイベック(柴田元幸訳)『シカゴ育ち』
16年前に初めて読んだときにはほとんどよさがわからなかったが、先日たまたま部屋の隅で埃をかぶっていたこの本を発掘したときにひっかかるものを感じた。前回読んだときはは物語が発するリズムとぼくが求めているリズムが一致しなかったのかもしれない。それで試しに最初の作品『ファーウェル』を読んでみたら、全編読み直す気になったのだった。
長めのショートストーリーの合間に数ページほどの掌編がいくつかはさまるメリハリのきいた構成。その作品の並びを一言で表現すると多様性だ。けっこう感触が異なる作品が収録されている。夜、上階からのピアノの音を通じての放浪癖のある祖父と少年とのかすかな交流(『冬のショパン』)、再開発前の荒廃した地域の音楽と喧噪にあふれた生活(『荒廃地域』)、架空の映画の文章による再現(『珠玉の一作』)、そしてむしろ詩と言った方がいいようなことばとイメージが奔流する作品(『夜鷹』)、そして荒廃地域の生活と幻想が入り交じる『熱い氷』。冒頭の『ファーウェル』にあるような温かくウェルメイドな詩情のみを期待していると裏切られてしまう。前回読んだときはそれを雑多と感じてしまった気がする。それで「シュール」という的外れな総括をでっち上げたのだ。
今読み返して共通に感じるのは移民の視線だ。シカゴという街に生まれ育ってはいるんだけど、親世代あるいはそのまた親世代は移民で、旧世界と新世界がいりまじったカルチャーの中で生きている。今回はできるだけじっくりそういう多様な世界を味わうことを心がけた。
掌編の方で一番おもしろかったのは『右翼手の死』だ。いかにもアメリカの短編賞悦という感じのシュールなユーモアで、村上春樹が書いたといわれても違和感がない感じなのだった。
★★★